真のスピリチュアルを体験。亡くなった人と会える世界でたった一つの場所。

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日本スピリチュアル協会

不思議な話し。生きる運が強いということは

2016-03-17  宙告

その1:あなたは生きる運が強いと、思ったことは?

よく私は何かに守られているな、という経験は、皆さんにきっとあると思います。

私の父は公務員で、転勤が多く、1年半から2年くらいで引っ越ししていたと思います。まさに転勤家族と言ってもよいくらい転勤しました。
小学生時代、岸和田に住んでました。公舎は庭付きの戸建て住宅で、岸和田城のすぐ近くにありました。ですから学校から帰ってからは近所の悪ガキや2つ上の兄と一緒に岸和田城で遊び回るのが楽しみでした。

石垣がありその下は堀があり池のように水がたたえられていました。石垣を下からのぼったり、石垣の上には植栽が植えられ、石垣と植栽との間は50センチもなかったと思います。

石垣から落ちそうになったとき、誰かが助けてくれた。

私達はかくれんぼや缶蹴りをして遊んだ際、その狭い隙間を走り回るのです。今考えればとても危ない行為には違いありません。石垣から下まで約7~10メートルくらいはあったでしょうか。落ちれば大けがはもちろん死亡することも考えられます。
あの日は今でも覚えています。小学4年生くらいの時です。

鬼ごっこをしていて、鬼に追われていた時、その隙間を猛スピードで走っていた時のこと、ちょっとバランスをこわして、身体が堀の方に傾き、落ちかけたのです。わーっ落ちると思いましたし確実に落ちる状況でした。その時、不思議なことが起きたのです。何と、誰かに腕を引っ張られたのです。

正直、不思議なことが起きたと実感!

正直あれれっとと思いました。正直不思議なことが起きたと、小さいながらに思いました。「こんなことってあるんやぁ」と変に納得したのですが、今、当時を思い起こし、よーく考えればこんな不思議なことはないですよね。

何がそうしたのか、あるいは守護霊様が私を救ってくれたのか、はたまたご先祖様か、神様か、仏様か、わかりませんが。そんな経験をしました。そしてそんな経験が意外なほど多いのも私の人生の中の大きな特長です。それが今の私をこの世に、生きさせてくれていると思っています。幸か不幸か・・・

もっと他に助けるべき人がいるのではないか?と

なぜこんなことが起こったんだろうと、正直思います。
しかし私自身は、いたって常識人ですし、臆病者ですし、小心者ですし、人の悪口を言ったりしますし、すぐすねたり、ちょっぴり憎んだり、うらやましがったりします。社会に今こうして生きているにもかかわらず、心のどこかに、神様はもっともっと世の中に役に立つ人を助けるべきではなかったかと思ったりします。しょうもない人間の代表的な私よりも、そんな人をむしろ優先すべきではなかったかと。

こんな経験が結構多い。なぜ?

でも不思議な経験は、幼い時、幼稚園時代、小学生時代、中学生時代、高校時代、大学時代、社会人時代へと続いていきます。他人様より多いのか少ないのかはわかりませんが、ここではひとつひとつを忠実に思い起こして紹介していきたいと思います。どう判断されるかは、読み手であるあなたにおまかせします。うそつき、そんなんあるわけないやろ、と思われるのも自由です。かまいません。が私は、多いか少ないかの問題はあると思いますが、きっと皆様にもあるはずと思います。もしあれば、ぜひぜひお知らせ下さい。

 

その2:時としてオヤジは子供の身代わりとなって死ぬこともある。

死ぬはずなのに、助かった、その不思議な経験。不思議な話し。

若い時、私はロータリークーペに乗っていました。当時ロータリークーペは若者が最も注目するスポーツタイプの車でありました。大学を卒業して1年位経った時のことです。今でも場所とその情景は、はっきりと覚えています。大阪市北区の源八橋詰の交差点の所にかかってきた時、よそ見していた私が目を前に向けると、トラックに積み込まれた鉄柱が目の前に来ていました。そして鉄柱の橋には赤い布切れがかかっていました。「わぁ、ぶつかる」と直感しました。間違いなく・・・よけるも何もありません。

確実に車のフロントガラスに鉄柱が入り込むと確信しました。わけも分からず、無我夢中でブレーキを踏んだのでしょう。
気がつくと私の車は、ちょうどそのトラックと並ぶかのように隣に止まっていたのです。そう、対向車線に止まっていたのです。
えっ、いつのまに鉄柱をよけて対向車線に来て止まったのか、今でも正直全然わかりません。助かったと思いました。
また対向車線に止まったのに、向こうからは1台も車が来ていなかったと言う幸運にも恵まれました。それも通行量の多い幹線道路であるにも関わらず、です。
「よかった、助かった」と思いました。
しかし話しはそれで終りません。

オレの代わりにオヤジが死んだ!兄との話しで、助かった理由がわかった。

それから3年位経って、兄と二人で食事していたときのことです。亡くなったオヤジのことを話していました。そして兄は凄いことを言いだしました。「お前の代わりに、オヤジは亡くなったとオレは思う」と言ったのです。「えっ、どういうこと」と聞きました。
確かにオヤジが脳溢血で亡くなった時、兄はアメリカからメキシコを放浪中で全然連絡が取れず(今と違って当時の国際電話は大変でした)、ようやく電話がつながったとき、兄はひと言目に「オヤジ死んだん違うか」でした。
「そう、オレわかってた」「なぜ」「実はなぁ、おれ夢を見たんや、橋の上でお前が鉄柱を積んだ車に後ろからぶつかって即死した夢をなぁ。そして慌てて病院へ行ったんや。そしてなんで死んだんやと声を出して、顔に掛けられている白い布を取った時に、弟からオヤジの顔にすーっと代わっていったんや。その時、オヤジが死んだと思ったし、お前の代わりにオヤジは死んだんやとも確信した」というのです。

本当はオレが死ぬはずだったのに・・・オヤジが死んでくれた。申し訳ない”

その話しを聞いた時、私は、まさにその源八橋詰の交差点での超不思議な体験を即座に思い出しました。そしてなぜあの不思議な現象が起こったのかも理解しました。まさに“オレの代わりにオヤジが死んでくれた。申し訳ない”と思いました。
あれから約40年以上がたち、日本スピリチュアル協会というこの仕事をして、ますますオヤジのことを思い返します。
いい意味で捉える人もいれば、悪い意味で捉える人もいるスピリチュアルの世界。
私は、どちらの方に捉えれば良いのか。オヤジはたくさんの人から慕われていましたが、私は今だに心もスケールも小さい人間です。息子とはいえ、こんな小さい人間のために身代わりになって死んだオヤジに、なにやら申し訳ないと思うことも、正直ありますし、オヤジのために、ここは社会のために少しでも役立てる人間になることが、オヤジに報いる道とも考えています。
この不思議な話し、どう思いますか。