真のスピリチュアルを体験。亡くなった人と会える世界でたった一つの場所。

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日本スピリチュアル協会

亡くなった人に会いたい 会えた実例

2021-11-10  イベント

東京体験会開催令和6年1月☜お申し込みはこちらから
大阪体験会開催令和5年10月☜お申し込みはこちらから

★★HYさんの場合/知らない間に海に散骨された弟に会いたい

弟の嫁が知らないうちに海に散骨

数年前の話。中国地方から女性とその兄が来所されました。体験会に申し込まれたのはその女性の方で、きっかけは弟が癌で亡くなり、その葬式の後、私たちの知らない間に、弟の妻が遺骨を海に散骨してしまったのです。当方としてはご先祖の墓もあり、その横に弟自身が自分用のお墓用の土地も用意していたので、まさか海に散骨するとは夢にも思わなかったそうです。一言も相談することなく、納骨のことで連絡した時にそのことを言われびっくりしたのだそうです。弟の妻は「本人は漁師で、釣りも好きで、俺が死んだら海に散骨してくれと言っていたので、主人の願いをかなえてあげたので、文句を言われるのは心外とのこと」といっていたそうです。来所された二人はそんなこと本人から聞いたこともない上に、分家として自分用の墓地も用意してあるので信じられないと語られます。「そこで本当に本人の意志なのかどうか、本人に会って確かめてみたい」とのこと。本人が了解済みなら、当方も納得すると話されました。それが来所の理由でした。

そこでコンタクトタイムを開始、本人が現れてきました。「泣いています。弟が泣いています」と女性が語られますが、兄の方には現れてきません。「どうして泣いているか聞いてみてください」「はい」と女性・・・数分経って「確かにそうようなことは言ったような気もするが、それも自宅で漁師仲間らと飲み会を開いたさいに半分酒の勢いで言ったようなことを女房が覚えていたのだろう。言ったのかも知れない、けどやっぱり気持ちはご先祖の横に納骨してもらいたかった・・・ただただ残念や」

そこで私は分骨はと聞くと「お寺に預けています」とのこと。「じゃーその分骨を納骨すれば」とわたくしが言うと、本人は「それでお願いします、しかし女房の〇〇子が・・・」と歯切れが悪そうと語られているとのこと。その理由を聞いてみてくださいとお姉さんに依頼するとうんうんとうなづき「やっぱり、〇〇子さんらしいわ・・・そういうのにお金をかけたくない、今後こどもの高校や大学の学費のことを心配しているらしい。第一、葬式の時も金がない金がないと言い、小さな葬式でいいと言っていたし、兄弟としては弟の葬式とはいえ来てくれた人にお酒や食事も出さんことには・・田舎は色々親戚はもちろん近所付き合い、漁業関係者の付き合いやら何やらで大変やったから・・・私ら兄弟や親も、支援したくらいやから・・」と、堰を切ったように話されます。そこで私は「そのような事情なら当分お寺さんの方で分骨のお骨を預けてもらうか、お金ができた時に小さくてもお墓を建てるか、あるいは本家の墓にそのまま入れてもらうか・・住職さんに相談されてみてはいかがですか」と話してみました。

一応その場で、亡くなった本人は了解されあの世に帰られました。

話を聞くと亡くなった弟さんは、飲む打つ買うの人で宵越しの金は持たないタイプだったそうです。なるほど・・それなりに奥さんの苦労が見えてきました。結構最初の描いていたイメージとは、違いました。物価高の折、やはりこれから子供の将来を考え、生きていく方が大切ですものね。でも良かったのはちゃんと弟さんが成仏されていたことでした。そのことをご兄弟に伝えると良かったと涙されていました。

★★HXさんの場合/育ててくれた祖母に会いたい

30歳前後の、背が高く体格の良い男性がやってきました。
「祖母に会いたいのです。両親がいなくなり、祖母には大変苦労かけ世話になりました。何の感謝もせずに亡くなり、一言だけでもいいからお礼の言葉を言いたいのです。お願いします」と・・
詳しくお話を聞くと「自分が小学生の頃に両親が離婚。子供の口から親の悪口は言いたくないのですが、父は飲む打つ買うで、まともに仕事はしませんでした。母や私や妹にも暴力を振るう人間で、母の稼ぎをあてにしては、競馬、パチンコ、麻雀の日々で、結局、愛想をつかしたのか母は急に家を出て行きました。私たちには何も言わなかったと思います。
父もほとんど帰らなくなり、祖母の家に行くことに。

手に職持っときや、生きる術持っときや」が口癖

祖母は小さな家に一人暮らしで大きな会社の食堂に勤めていました。ですから食堂の残り物でしたが、食べるには苦労しなかったですね。「おばぁちゃんといっしょやったら食うには困らへんで」とか「こう見えても栄養士と調理師の資格持ってんねんで」というのが自慢でした。
それに「人間生きる術持っとかなあかんで、持ってるのと持ってないのとは、えらい違いやで、何か資格取りや」とよく口癖のように言ってましたね。けっして質素な生活ではなかったですが、無駄遣いのしないひとでした。そのおかげで私は商船関係の学校へ、妹も美容専門学校へ行かせてくれました。
孫とはいえ、本来両親がすべきことをしてくれたことに、感謝しかなかったです。本当にありがたかったですね。

明るくて、ヴァイタリティがあって、テレビを見ては笑ったり泣いたりして・・両親の喧嘩ばかりのすざまじい生活とは全然違って、本当に毎日が楽しくて、こんな平穏な日々ってあるんや、というのが気付かされました。」

「お母様とは、連絡は?」とお聞きすると「私たちと別れてから3年後に亡くなりました。胃がんと聞かされました」
「おばあさまは、母方ですか?」「そうです」「お母様とは会いたいですか」「いやぁ、微妙ですね。正直、出ていったきりでしたから・・、祖母に会えたら聞いてみます」
「お父様は?」「全然わかりません。祖母に引き取られたのはわかっていたと思うのですが・・連絡もなく会ったことはないですね。それによく叩かれたことでそれでトラウマになって・・あまり良い思い出がないので・・とにかく祖母に会いたい、それだけでお願いします」

私の横に現れてきたおばあさんに感謝の言葉を・・・

コンタクトを開始すると、すぐに「先生の横に立っています・・・(号泣)」
「私の横におばあさまが来られてましたか?」
「はい、先生は見えますか???」
「いえ、残念ながら・・(横に来られることが時々ありますが、見えたことはありません)・・おばあさまにしっかり感謝の念を伝えてください」
「はい・・・」

そしてコンタクトタイムが終わり、何か言っていましたかと問うと・・
「まず、仕事で死に目に行けなくて、葬式に行けなくてごめんね、とあやまりました。そしておばあちゃんと暮らせて良かった。ここまで来れたのはおばあちゃんのおかげ、と感謝の言葉を伝えました。いつもの笑顔でした。可愛い笑顔でした。そしておばあちやんは、よかった、よかった、これからもまっとうに生きなさい。お前は大きな船の船長になれるよと言ってくれました」
「お母様のことは・・・」「今、静かに安らかに寝ているから、今度にしてあげて。その時は一緒に呼んでくれてもいいよと、いってくれました。いやぁ〜感激です。本当にあるんですね。妹に、おばあちゃんに会いたいと言うと、こんなんがあるよと言われて日本スピリチュアル協会さんをHPで見せてくれたんです。
嘘だろう・インチキだろう、といってものですが・・・色々な体験談を読ませていただいて、それに料金が良心的だったので、ダメでもともとの気持ちで申し込んだのですが、本当にありがとうございます。感謝しかありません。久しぶりに涙しました。

大阪大会は半分の方が会えました。

★★HYさんの場合/隣にいた幽霊が今度は我が家に・・

今回はいつもの亡くなった人に会いたいと言う話ではなく「幽霊をなんとかしてほしい」とのお話です。

60代後半の女性が来られました。亡くなった人に会いたいのではなく、元々、隣にいた幽霊が我が家に居着いているのでなんとかしてもらえないか、というご相談に、当方もびっくり。
話をお伺いすると、隣の家には幽霊が出るというのは近所では有名で、入れ替わり立ち替わり持ち主が変わるのでも知られていた家でした。「そんなに有名だったのですか?」と問うと「私が高校生の時、その家に住む同じ年の男の子とよく話していて、その子がよく兄の部屋には時々、幽霊が出るねん、と話していました。その部屋は私の住まい側に面していた部屋で、気味が悪いとはおもっていましたが、その男の子は明るい性格かケロッとしていました。とにかくそのことをおもしろおかしく話すので、楽しかったし、きっと私に興味があって、そんな話をするものと思っていました。

そのことを母に言うと「この辺の人、みんな知っているよ」というので驚いた覚えがあります。
ある日、その男の子にどんな幽霊がでるのと聞くと「若い男の霊で、江戸時代の町人や。死装束を着ていて頭に三角の白いものを巻いているねん。ちょんまげもしている。何回か見た」というのです。
結局、そこの男の子の家族も4年くらいで引っ越していきました。実はそこの家族は引っ越してきてからお父さんの具合が悪くなり、長期間入院するなど仕事もうまくいかなくなったそうで、そのこともあり引っ越すとその男の子から聞きました。

なぜ、あなたの家に幽霊が居着いたか、心当たりは・・・

「ところが、2〜3年前その家が取り壊され、駐車場になり、そのせいか、幽霊がウチの家に出る様になったのです。私も寝ている時に2回見ました。金縛りみたいなものも初めて経験しました。こわくてこわくて、どうすれば良いですか。もう古い家で建て替えようとも思っていたのですが・・それに飼っていたペットが急に死ぬなど、不吉なことも続くので・・・娘も二人いるのですがそれ以来、気持ち悪がって家にも寄り付かなくなりました。しかも私が娘の家に行くのも嫌がるしまつ」だそうです。

そこでHYさんに「その霊と会う勇気はありますか」と問うと「とんでもない、無理無理無理」とのことで、「それではその地のお寺さんで法要をお願いしたらいかがですか?」と言うと、「そうしてみます」と言われたので、お寺さんへの頼み方などをお教えし、帰られました。

後日、連絡があり「いつも霊が出る部屋の雰囲気が変わった気がします。ちゃんと成仏できたのでしょうか」といわれたので「多分、出来たのでしょう」と答え「また何かあればご相談ください」とお伝えし、会話終えました。以後連絡はないので、うまく成仏できたのと思います。
怨念の強い霊は、他人の不幸を喜ぶことで、自分を癒すという手段で、成仏できない自分の心を慰めることしかできません。なかなか大乗のお教えや気づきが持てないのですね。

★★FTさんの場合/過労死で死んだ娘に会いたい

70歳前後のご夫妻が大阪体験会に来られました。15年前に亡くなった娘に会いたいとのことで、たまっていたものを吐きだすかのように話されました。
娘さんは20代後半で過労による脳疾患で亡くなられたとのこと。お母様曰く「デザイン会社に勤めていました。小さい頃からアニメを描くのが好きで、アニメの会社に行きたいとよく言ってました。高校卒業後デザインの専門学校に入学し、そこでグラフィックデザインを学び、先輩の紹介で入社したのが小さなデザインスタジオでした。仕事は大変だけどやりがいがある。とはよく言ってました。しかし、労働時間は信じられないくらい長かったです。徹夜も多かったです。週の内1回〜2回はあったと思います。もちろん帰ってくるのは毎日といっていいほど、12時前後でいつも最終電車で、よく駅まで自動車で迎えに行きました」

そこでお父様が「私は公務員だから、その労働時間の長さから、そんな会社なんてあるはずない、娘が何か変なところで働いているのではないかと思い、娘が働いているデザイン会社へと行きました。そうすると確かに存在していて・・・娘には悪いが、会社の中に入り娘を呼び出してもらいました。えっ何って顔をしました。近くに寄ったから見てみようと思ったと言うと、来なくてもええのに・・中はとてもきれいで15人前後の社員がいました。そうすると副社長という女性がやって来て、娘のことを褒めてくれましたが、しかし私は娘の残業が長いことや土日出勤について、理解できない旨を伝えました。そうすると『申し訳ありません。デザイン会社は締切や訂正やらで、ついつい間に合わせるために社員の皆さんには本当に迷惑おかけしています。でもクライアントに迷惑をかけると私たちの仕事もなくなるので、そのへんのところをお察しください』と言い、娘もデザイン会社ってこんなものやという始末で、辞めるつもりはないと言います」

「それから半年ほどして、デザイン会社から電話が入り「容態が悪くなり、今〇〇病院へ運びました」と・・病院へ行くともう亡くなった後でした。正直信じられなかったです。会社の人に聞くとトイレに行ってなかなか帰ってこなかったので、覗くと倒れていたというのです。死因は過労による脳疾患と診断されました。それからが弁護士やら労働基準局へ行くなど過労死の認定で大変でしたけれど、ただただ残念で、、まぁ、デザイン会社も協力的ではありましたけれど・・・」

それ以降、北海道から沖縄まであちらこちらの霊能者さんへ行かれたそうです。「どうでしたか」と問うと「一人だけすごい人がいましたが、当方が何も話さず、今ここに来ている霊のことを言われます。最初、何?と思いましたが、よく聞くと私の母の霊が来ていたのでてす。これには驚かされましたが・・・」「でもある人から日本スピリチュアル協会のことを聞いて、申し込みしました。その人は会えたそうです」

さてご夫婦からいろいろお聞きした後、ソウルタイムへと移行しました。娘さんはお父様の方に現れました。号泣されてます。何度も何度もうなづかれています。

終わってから「いかがでしたか」と問うと「いや、元気そうで笑っていました。会いに来てくれてありがとうとも言ってくれました。早く死んでごめんね。自分もわからなかった。死んだ当時のままの姿でした。天国にいるのかいと聞くとうなづいてくれました。良かったです。会えて良かったです。」

隣にいたお母様も号泣されていましたが、なんでうちの方にこなかったのやろと・・「どうして?」と問われましたけれど私も「わかりません。こればかりはやってみなければ・・申し訳ありません」

でもご夫婦は納得された様子で席を立たれました。
その1年後お母様だけ来所されましたけれど、残念ながら娘さんはやって来られませんでした。

★★AEさんの場合/亡くなった人の守護霊がやってきた

2週間ほど前に亡くなった母に会いたいと、A子さんが来所され、早速コンタクトを開始したのですが、現れませんでした。しかし12分ほどして、A子様は「何か白髪で神々しい男の人が、私の前に来ています。とてもお優しい顔で、笑顔でうなづいてくれてます」「誰か知っている方ですか?」「いいえ、知らないお方です」「じゃ、あなたは誰ですかと、聞いてみてください」「はい・・・母の守護霊、だそうです」「守護霊様ですか」「はい、多分、私にはわかりませんが・・・」「じゃーお母様がどこにいるか、聞いてください、、、」「指で上を指しています。天国に行っているみたいですね」「じゃーお母さんに会いたいから呼んでくださいと聞いてみて・・」「今は会えない、成仏させるために生前のオリをとっている、途中で止まっている」とのこと。たぶん、オリとは汚れのことではないかと考えます。

私の考えですが天国に行くにあたって、何かわだかまりのようなものを抱えたままだったのかも・・・・・全てを置き去ってこそ天国行きが可能なのですね

「いつ頃会えますかと聞いてみてください」と問うと「いつかは言えないが近いうちに会える」と答えてくれたそうです。そしてスーッと消えてしまいました。今まで数多くの体験会を行なって来ましたが、本人ではなくその方の守護霊様が現れたのは初めてでした。

★★ADさんの場合/霊能者の言葉を信じて・・

亡くなった主人の誕生日に会えると言う霊能者

東京での体験会の2日目、30代半ばの女性が来所されました。数年前、病気で亡くなった主人に逢いたいとのこと。その女性は数ヶ月前、ある霊能者の所へ行き「出来るなら主人に会いたい」とお願いしたそうです。そうするとその霊能者は「誕生日なら逢える」と霊界からメッセージが来たと言うのです。

ご主人の誕生日は12日、そこでインターネットを見て日本スピリチュアル協会の体験会を知り申込まれたとのこと。誕生日の日の予約状況を見ると1枠しかなく、「これしかない」と即決で申し込まれたとのことです。

ご主人との出逢いから別れまで、お話をお聞きし、会いたいと言う一途な気持ちが当方にも伝わってきます。

そしてコンタクトを開始すると、一気にご主人がやって来られました。今までで一番早く来られたのではないでしょうか。ご主人も奥様に会いたい気持ちを強く持たれていたからだと思います。

「ハグしてくれてます。頭を撫でてくれてます。手を強く握ってくれてます・・・・・」約20分間のコンタクトタイムで終わりましたが、最後に奥様が「また会える?」と問うと「もちろん」と応えてくれたとのことでした。

「誕生日なら会える」とメッセージを伝えた霊能者の方に、その力に感激しました。お会いすることが出来て、本当に良かったです。

クリスマス前に会えると言う霊能者の言葉に力を感じて

これとよく似たもう一人の方もおられました。同じく病気で亡くなった主人に会いたいと霊能者のところに行くと、霊能者の方は「クリスマス前に会えます」とのこと。

そこで当方のホームページを見つけ、12月の体験会に申し込まれました。先程の方と同じくお会いすることが出来ました。

やはり霊能者の方にも真に力をお持ちの方がおられると実感しました。

★★CAさんの場合/孫に会いたい。

東京体験会最終日に予期せぬ来訪者が

数年前の話です。東京での最終日の体験会が終わり、会場を出ようとしてドアを開けた時に突然、女性が現れました。
「時間が過ぎて申し訳ないのですが、孫に会いたいのです。」と言われたのですが、「今日は私も疲れているので、無理です。それに会場の退出時間もありますので・・」と応えると「それでは近くに友人が経営しているレストランがあるので、お話を聞いていただけるだけでも良いので・・」と話されます。かなりグイグイと押して来られる方です。この日のためにサンフランシスコからわざわざ来たとのことで、ホームページを見て、取るものもとりあえず慌ててやって来たとのこと。
そこまで話されるとむげに断ることもできず、とりあえず友人のお店へ。それも立派なお店で、中に入ると支配人が挨拶に来られるなど、常連さまと見受けました。
アメリカでご主人と一緒に会社を経営されお店も何軒か持たれているとのことで、お話をお聞きしても人を惹きつけるものがあり、『どこか違うな』とうなづけるものもありました。

「私は霊魂の存在を信じています。肉体は死んでも魂は永遠に生き続けると・・・だから生まれてから10ヶ月余りで亡くなった孫に会いたい」

よくお聞きすると娘さんはドイツの方と結婚し、ドイツでお孫さんを出産しましたが、生まれつき心臓に欠陥があり、しかも手術も難しく、よく生きて半年、長く生きられないと医師から告げられたそうですが、10ヶ月生きたそうです。

以前よく似たケースがありました。その話をすると「そうです、ホームページを見て、同じような人がいると感慨深くなり、私も会いたいという気持ちが強く出て来て、チャンスがあればといつもホームページをチェックしていたのですが、たまたま忙しくて見れなかった時に、もう予約が埋まっていましたが、今しかチャンスがないと思い、思い切って日本に戻って来ました」

「初孫で・・・まるでフランス人形のような可愛い孫でした。医師から病気の話を聞いた時は、本当に信じられませんでした。笑顔が可愛くてキャッキャッと笑い、見た目は元気でしたが・・やはり亡くなりましたね。手術も何回かしました。それを聞くたびに辛かったです。覚悟はしていましたが・・・ですからその孫に会いたいために先生にお願いしたいのです。本当言いますと、アメリカとイギリスで有名な霊能者に会いましたが、私が聞きたいこととかが聞けず、どれもわからないままに終わったと言うのが実際のところでした。2、3日前先生のホームページを見て、ひらめくものがありやって来たのです。」と語られます。

個人の予定が6人の集団体験会に

そこで明日、AC様の方でどこか会場ができるのであればとのことで提案すると、さっそく支配人に個室を貸してほしいと話され、借りることができました。
そして当日、個室に伺うとなんと6名もの女性の方がおられました。AC様が「すいません。孫に会えるという霊能者さんと会うと言うと、友達が私も行くと言い出し断れなくなり・・・このようなことに」私も「大丈夫です。皆様も誰かにお会いしたいのですね」と問うと皆様がうなづかれたので、個人体験会ではなく集団体験会として催すことにしました。

何とか6人中3人の方がお会いすることができました。その中にはAC様も含まれており、しっかり抱っこすることができ、大号泣されていました。他2名の方もなかなか涙が止まりませんでした。
会われた方は「ACさんから言われた時は、騙されていると思いましたし、法外なお金を取られると思い、止めさせようと来たのですが、先生の話やホームページを見て・・ひよっとして息子(事故で死去)に会えるのではないかと思い、試してみたくなり・・・本当にこんなのがあるんだと、今はただ会えて良かったし感謝しかありません」

AC様からも感謝とお礼の言葉を賜りました。東京での体験会は時々予想だにしないことが起きるので、びっくりすることがありますが、一言で言うなら私自身も「会えさせてあげることが出来て良かった」です。

★★YYさんの場合/離婚した父方の祖母に会いたい!

小学校の時、父と離婚後、疎遠になったおばあちゃんに会いたい。


もうすぐ結婚予定の美男美女のカップルが来所されました。
コンタクトを希望されたのは女性の方で、亡くなった祖母に会いたいとのこと。小学生の頃に会ってそれ以降会うことはなかったとのこと。理由をお聞きすると、小学生の時、両親が離婚し母親と暮らすことに。それがきっかけに父方との祖父母とは疎遠になる。
「両親が離婚するまでは毎年夏になると父の田舎に帰っていました。祖母はとても優しくて思いやりがあって、私にとっては忘れることのできない一番思い入れのある人です。いつもニコニコと穏やかに話されているのを思いだします。そこで会いたい気持ちが強くなり、母に相談にいきました。母は再婚していて、今は私とは別の所に暮らしています。しかし祖母のことを聞いても知らないと答えるのみなので・・・
そこで先日彼と一緒に祖母のいる田舎へ行きました。行ってみると別の人が住んでいて、そこですでに亡くなったと聞かされました。結婚することを伝えたいために行ったのに本当にショックでした。
詳しく知りたいため近くに祖母の妹さんが住んでいることを思い出し行くと、ご健在で色々聞くことができました。私のこともよく覚えておられました。
7年前に肺炎で亡くなったことがわかり、お墓にお参りもいたしました。でも会いたいのです。会って結婚のことを伝えたいのです。ですからお願いします。会わせてください」と来所の目的を語られました。
 

おばあちゃんが手をやさしく握ってくれている。

 
「今からじゃー始めます」と言うと、男性の方が「すみません、申し訳ないですが、席を外させてください。このようなことは苦手なので・・・」「怖がりなんです」とクスッと彼女。
席を外していただいて始めると、スピリチャル体質なのか、すぐに「おばあちゃんが来ている」と言って号泣されます。
何も言わずに、何も邪魔せずに、この時間を見守りました。しばらくすると「帰っていきました」と彼女。
「どうでしたか」「ずーっと手を握ってくれていました。あたたかかったです」「報告できましたか」「はい、喜んでくれました。いい人見つけたね、よかったね、きっと幸せになれるよ、と言ってくれました。大きくなって、綺麗になってと・・ほっぺも触ってくれました。本当によかったです。ずーっと別れてから会いたいと思っていたので、ここに来て良かったです。」
私もコンタクト時、何か不思議なおばあさまの『人となり』を感じることができ、とても気持ちの良い時間を過ごさせていただきました。
会えて、逢えて・・良かった。清々しさの中でコンタクトタイムが終了しました。

★★XXさんの場合/今になって母の苦しさ悲しさが理解できるように!HU101_72A

母の厳しさに反発し、中2から不登校に!

30歳代位の女性が来所されました。10年前に亡くなった母に会って、謝りたいとのこと。
その方の話によると・・・・
「母 からは本当に小さい時から、厳しく育てられました。何でも自分の思い通りに育てようする母親でしたね。ピアノやダンスやさらには劇団など、もちろん塾へも通わされ ていました。一流指向の人で、小学校も有名私立でなければと言われ、ちょっとでも成績が落ちたり、ダメだとすぐ手を上げましたね。よくビンタもされました。「◯◯子のためだからね」というのが口癖でしたが、私からすれば、何で、どうして、と大きくなって行くにつれて、徐々に徐々に母のことが受けいれられなくなってき ました。
小学6年位になると、口答えをするようになりましたし、中学校は有名な中高一貫校入りましたが、中学1年のある時、急に線が切れたように母が大嫌いになり、私も体が大きくなり身長も母親を超えるようになったこともあり、母が暴力を振るうと、反撃したり暴言を吐くようになりました。死ねって言ったことも何度もあります。
あの時はどうしょうもなく、母の顔を見るだけでも腹が立って、イライラしたり、怒鳴りたくなったり、時には自由になりたいと思って家出したこともあります。
母は心配して、病院や心理カウンセリングを受けさせようとしましたが、一度も行きませんでした。
結局、中学2年後半から不登校になり、全く行きませんでしたが、中学は卒業したけれど一貫校だっただけに、当然、不登校が原因で上へは進めなかったですね。普通ならエスカレータで、そのまま高校へ行けるのでしたが・・・他の高校への選択もありましたが結局は行きませんでした。母親もそうなるとあきらめていたようです。今思えば自分の思い通りに育てようとした母への強い反発だったですね。心の中では“ざまあ見ろ、という気持ちと、このままではヤバい”という両方がありましたが・・。

正直言うと上への高校は行きたかったですね。誰もが知るブランド校であったし友達の多くは国公立大学や有名大学へと進学していきましたから・・・。その時は母への憎しみが強かったからだと思います・・・・。大人になって本当に後悔はしましたけれど・・・もちろん今もありますけれど・・」

今、中2の娘も同じように不登校に!まさに私と生き写し

「なぜ、今そのお母さんに会いたいのですか」
「実は、13歳の娘がいるのですが、私と性格も一緒なのです。反抗期もあるかと思いますが、暴言・暴力・無気力、朝も起きず、当然、今は不登校です。学校へ行かないことに腹を立て、大声でしかったり、叩いたことも一度や二度ではありません。ある日の深夜、こんなことがありました。
学校へ行かずゲームばかりしている娘に「やめなさい」と注意したとき、娘から『あんたの顔を見るだけで腹が立つ、むかつくんじゃ』と言われたのです。“わたしのことをアンタ”と呼んだ・・・そう思った時、デジャブというのですか? かつて同じようなことを母にも言ったことが、急に頭の中によみがえってきたのです。本当に一瞬でしたがタイムスリップしたかのように、娘時代に戻ったような錯覚さえ覚え、その時の母の目を見開いた顔が目の前にあるように感じたほどです。そうなんです、今の娘の態度や言動を見ると、まさに私の娘時代を見ているようなんです。いえ娘自身が私そのものと言っても過言ではないほどでした。
ですから私も今、娘を持ち母親の立場に立つと、母も同じように悩み、苦しみ、悲しんでいたことが、痛いほどよくわかるのです。ですから母に会って謝りたいし、どうしたら良いかどう接したら良いか教えてもらいたいと・・・このままだとまさに私の二の舞になるのは間違いないと・・・」
 
亡くなったお母様は大腸癌で亡くなられたとのこと。「子供の時の母からの仕打ちがずーっと心に残っていて、正直言って恨んだりとか憎くんだりしていましたし、生前は母と会うたび、叩かれたことが頭に浮かんでくるなど苦しいときもありましたが・・・でもその原因は私にもあるということが、今では十分理解ができているので、素直に会えると思います」
 

子は思い通りに育たないもの・・・いつもニコニコ、ケセラセラ、肝っ玉母さんになりなさい

 
ソウルタイムを開始するとすぐにお母様がやって来られました。一気に涙があふれてきました。
「若い時の母親です。そう、私が思い切り暴れたり、迷惑をかけたときの中学生だったころの母親です。
笑ってくれてます。てれくさそうに笑ってくれて・・・(号泣)・・・両手を広げてハグをしてくれてます。本当にハグをしてくれてます。」
「じゃー、お母様に娘さんのことで相談してみてください」というと、頭を下げながら何かを話されている様子。
そしてお帰りになられました。
 
「いかがでしたか」
「子は親の思い通りに育たないよ、言われました。それに多感な時期でもあるから、心を大きく持って肝っ玉母さんになりなさいと、そうすると子供が変わって来ると・・いつもいつもニコニコとケセラセラで接してあげて・・・私も今だからわかると・・・・
そしてあなたの人生を大きく変えてしまってゴメンねとも、言ってくれました。」
「それで、あなたはどう答えましたか?
「今それを言う、と一瞬思いましたが・・・。そう思った瞬間に、どういうわけか、中学も満足に卒業できず、高校も行かず、大学も行かなったのは、全て自分の意思で、責任だというのが、スーッと心の中に落ちてきました。そう、母親ではなく自分の責任だったのに、今気付かされた気がします。あれだけ憎んでいたのに、、許せないという気持ちも強かったのに・・それらが消えてしまったような・・・
だからでしょうか、何か今、娘のことでも吹っ切れた気がします。娘には娘の生き方がある・・という・・・」
「お母様は他に何か言ってましたか」
「2ヶ月後またおいでとも、言ってました」
2ヶ月後ですか・・何か良いことが起きそうな気がします」
「宇川先生に言っていただけると本当にそのような気がします。それに、今何か猛烈に勉強したい、大学へも行きたい、そんな気が湧いてきました。36歳ですが・・間に合いますかね」
「十分すぎるほど間に合いますよ。2ヶ月後の再開が楽しみですね」
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★★SSさんの場合/父の希望を無視して、荼毘に!

やや小柄な女性がお孫さんと来所されました。

8年前に亡くなった父に会いたいとのこと。彼女曰く「父は95歳の老衰で介護施設で亡くなりました。最期は大事にしていた娘(来所された方の妹)に裏切られるような形で残念だったと思います。」「裏切られるようなとは?」と質問すると少しの間、考えられて「お金の問題ですので・・・」と恥いるように小さな声でこたえられました。

「自分が死んだら医学大学に献体してほしい」が父の遺言

「今 回の件とは関係ありますか?」「いえ全然関係ありません。父に会いたい理由は、亡くなる少し前に父は『自分が死んだら医学大学に献体して欲しい』と希望し ていました。しかし正直言うと、父の 気持ちはまったく理解出来ませんでしたが、その場では父には希望通りにするからと言いました。でも私自身とすれば、遺体に傷をつけるだけでなく、切り刻みバラバラにするなんてという思いが強く、正直受け入れられませんでした、またそのようなことをすると天国へ行けないような気がして・・・最終的には、申し訳ないとは思ったのですが、父の希望を結局叶えてあげることはしなかったです。やはりその時は娘としては、いくら父と言えども死んでからそのようなことはさせたくなかったのが、本当の気持ちでした」

「それで・・・」
「最 近、その事を知った妹が『きっとお父さん怒ってるわ』と何度も何度も口うるさく言ってくるので・・・それに○○県○○市の霊媒師を信用していて、その先生もお父さん怒っていると言うているというので・・やはり気になって父の今の状態やその事も含めて聞きたくて来たわけで す。もちろんお葬式はしましたし、戒名もいただきました。ぜひ会いたいし、私の一存で父の希望を無視した事も謝りたいです。もう他に頼るところがないので・・・最後の頼みの綱できました」

コンタクトを開始するとお父様がやって来られました。「良かった天国に行っていた」と第一声。笑顔の中に涙が一筋一筋流れています。
「笑ってます。シャイだった父がしっかりとハグしてくれています。良かった。うれしい、うれしい。よかった」と何度も言われ涙があふれてきました。
そして少しの間話されている様子。体験が終わってから「いかがでしたか」と彼女に問いました。

父が許してくれました。本当に心がスッキリしました。

「父に謝りました。許してくれました。お前ならそうするだろうと思っていたとも言ってました。今は安らかに眠っているから、もう呼ばないでとも言ってました。まるで夢を見ているような感覚で、元気で生きていた70歳位の頃の父でした。ニコニコと笑ってくれていて、本当に会えて良かったです。妹に言われてから、ずーっと父のことが気がかりでした。本当にスッキリしました。ありがとうございました。ここへ来て本当に良かったです」

「妹さんのことは何か言われてましたか」
「はい、何だかんだ言ってもやはり娘やからそれでいいと言ってました。妹は男運が悪いから、許してやってくれと・・姉であるお前には結局一銭も渡せなかったけど、その分、婿さんがしっかりしている人だから安心していると。妹のことでお前やお前の家族にも迷惑をかけ不快な思いをさせ、申し訳なかったと・・謝ってもらって・・それも聞けて良かったです」

しかし私が驚いたのは、おばあさんの車の送迎のためにご一緒に来られたお孫さん(大学生)の霊感の凄さでしたが、全身から今まで見たことがないオーラと強烈な霊パワーがみなぎって、宗教家や霊能の道に行くときっと大成すると確信できるような若者でしたが、本人はここでは触れません。
お父様と会えて良かったです。

★★QQさんの場合/船から飛び込んで自殺した・・? 娘に会いたい。スピリチュアルの世界のイメージ写真

結構、ご高齢の小柄な、そして上品さを醸し出す女性が来られました。たぶん80歳代の後半かな、あるいは90歳を超えているかとも思いましたが、やはりお年を聞くのは失礼かも思いご遠慮することに。でもお話をして感じたことは、すごく頭が良く記憶もしっかりされ、とてもわかりやすく話される魅力のある女性ということでした。

自殺なのか事故なのか、今だにわからないのです。

「実は娘のことで来ました。もう50年以上も昔の話しですが、娘が船からいなくなり、自殺したのではないかと言われました。下船の時に乗客の中にいないことがわかり大騒ぎになったそうです。船は夜に出て、翌日の朝に着くのでたぶん真夜中に海に落ちたのではないかといわれました。」「自殺だったのですか?」「それはわかりません。本当のことは娘しか・・しかし姉には失恋して死にたいと言っていたそうです。遺書とかもありませんでしたし、ひょっとしてデッキで身を乗り出したりして、ひょんな拍子に落ちたのかもしれませんし」「乗っていたのは間違いないのですか、大人数が入る部屋がたくさんある船なら、誰が誰だかわからないこともあるのでは・・」「当初、私もそう思っていましたが、個室を使ったので名前もしっかり住所もちゃんと記されていたので、娘を部屋まで案内したスタッフもいたので、乗っていたのは間違いないです。だから、自殺を考えている娘が、自分の氏名や住所をウソも書かずきちっと書くかとかも思いましたし・・」
「主人は本当に悲しんでいました。可愛がっていましたから・・。だからひょっとして私たちの知らないところで暮らしているのではとか・・・。海に落ちたのではなくて、港に着いた時に大勢の客の中に入って降りてしまえばわからないから、そうして姿を隠したのではとか・・」
「ふだんの様子はいかがでしたか」「ごく普通でしたが、勉強もよく出来た分、今思えば何かにつけて考えるタイプでしたかね」「色んなことに真剣に考えるタイプでしたか」「そうです。真剣に考えたり、深く考えたり、悩んだりするほうでしたかね」

ホームページでここしかないと思い来ました。

当方に来られるまで、何カ所かの霊能さんのところに伺ったそうですが、自分の思いとは全然違っていて納得もできなかったとか。
当協会はインターネットで知ったとのこと。「家でパソコンを見て、ここを知ってきました」と言われ少しびっくりです。お話を聞くと亡くなったご主人がパソコンを使っていたので、その影響で古くから使いこなしていたとか。スマホもタブレットも使っておられるそうで「なんとお若い!」と感激しました。
そしてソウルタイムを開始しましたが、何回かチャレンジしましたが会えませんでした。「ここだと思って、何かひらめくものがあって来たのですが、やっぱり会えなかったですね。私もたぶんもうこれで本当に最後という思いもつよかったので・・残念ですね。やはり自殺したのかしらね」

霊サーチをかけると娘さんの姿が・・!

ひょっとして成仏されていないかもしれないと思い。QQさんに娘さんがどこにいるか、霊サーチをかけてみますかと提案すると、即座にやってほしいと希望されました。霊サーチをかけるといきなり「娘がいます。娘が見えます」との言葉が。「崖の下に立っています。岩場ばかりの浅瀬のところに・・・寒いのに立っています。波をかぶりながら・・・かわいそうです。かわいそうです。なんでそんなところに・・・」と号泣されます。それが10分ほど続きました。少し落ち着かれて「場所はわかりますか?」「いや、もうぜんぜんわかりません。ただ断崖絶壁が長く続いているくらいで、崖の高さは30メートルか、もっとあるのかも・・・でもこんなさみしいところにいたなんて先生どうすれば良いですか」
「お葬式とかされましたか」「いや、してないのです。主人が反対して・・・遺体もないし、死んでいるという確証もないので、そのままです」「やはりお葬式はして、線香をしっかりあげてください。そして場所がわかれば良いですね。そこでもお線香をあげれば良いですね」「はい、わかりました。頭の中にくっきりと断崖絶壁の続いていたのが残っているので、娘が乗っていた航路を見て、ちょっと探してみます。長女にも助けてもらいます」と話され帰られました。
後日、葬式をあげたことと、四国の高知周辺や徳島の太平洋側のあたりを探していると言うお電話をいただきました。もう遺体は見つからないでしょうが、頭の中に出てきた崖の風景がどこか、わかるといいなと思いました。どうかうまくいきますようにと祈らずにはいられません。
うまくいって、どうか成仏されますようにと心から祈願しました。

合掌。

★★UUさんの場合/病院から抜け出し自殺した娘に会いたい

何と体験会に一度に7人の方が見えられました。申し込まれたのは亡くなった方の友人でしたが、来られたのは亡くなられた方のお母様、姉夫婦、妹、弟、そしてメールを寄越した友人でした。(当協会では基本お一人でお願いしていますが・・・ケースによってはご相談に応じていますが二人くらいが、やはり経験上、限度かと思います)

7人の方が一度に来所。遠方から来所のため受ける事に。

当初は、友人の方1人が行くとご連絡いただきましたが、友人が日本スピリチュアル協会へ行くと話をしたところ私も行きたいとお母様が話され、またその話が拡がり結局、7人で来られたのです。正直、こんなにもたくさん来られるとは思いもせずびっくりしたのですが、他県からわざわざ来られたこともあり、とりあえずは行う事にしました。

癌である事を隠していたが病室の状況から気付いていたかも

始める前にお母様に亡くなられた原因とその前後をお聞きしました。
「自死したのです。スキルス性胃癌で医師からも1年と言われました。お医者様に頼んで本人に告知はやめてくださいとお願いしました。性格は明るいのですが、また弱いところもあるので、もし癌とわかると一挙に気弱になり、パニックにもなるかも知れないと思い、くれぐれも言わないようにお願いしました。本人には胃潰瘍という事にしました」

「ご主人とか家族の方には伝えたのですか?」「はい、主人にも兄弟にも伝え、絶対本人には伝えないように・・それはみんな守ってはくれましたが・・」

「本人が気づいたのですか?」「多分、気がついていました。4人部屋だったのですが、その部屋は癌だけの人が入る部屋だったので、同室の誰かに言われたのです。娘が『自分は癌なの?ここ癌の人の病室と聞いた』聞いてきましたが、私は他に部屋が空いてなかったからよ、と答えましたが、半信半疑の様子でした。

それに抗がん剤や温熱療法などの処置が進むにあたって、やはりわかっていたと思います。入院してても元気な時は本当に元気で、家にも帰ってはきていましたが・・・

「いつ頃、自死されたのですか、入院して45カ月くらいですかね。」

「どの様な自死をされたのですか」と失礼ながら問うと「それは、・・・」号泣されはじめ、妹さんが言おうとするとお母さまが手を振りながら「ダメダメ」と・・少し落ち着くと「言いたくないので・・・・言うととても辛くなるので、今は・・・・それでもよろしいですか?

と言われ了解されました。他の方を見ると皆様泣かれておられました。
結局亡くなった日にちも場所もお教えいただきませんでした。
そのような中で魂を呼び寄せる努力をしましたが、当方もコンタクトエネルギーが分散されるので、力が発揮できず、

結局、その日はや・は・り亡くなった方はやって来られませんでした。せっかく来所されたのに申し訳ない気持ちでした。
近日、この続きを加筆しますので、ご期待ください。後日談があります。

★★TTさんの場合/かわいい我が子?に会いたい!

40歳位の女性が来られました。
「1年前に亡くなったわが子に会いたい」と話され始めらすぐに号泣を・・・やはり母として、とてもつらい思いをされていたと考え、ここはしばらく何も言わずに泣き止むのを待つしかありませんでした。
「可愛くてね、とても素直で、人見知りすることもなく誰からも好かれていました。外へ一緒に出ても本当に自慢の息子でした」と涙ながらにお子様のことを再び話され始めました。
「亡くなられた理由は」と聞くと「生まれた時から身体が弱かったです。腎臓に問題ありとも言われていました。やはりそれが悪化して亡くなりました。」亡くなるまでの最後の1年間はほとんど病院通いだったそうです。そしてこれが息子の写真ですと言って出されたのを見て、ビックリしました。写真が間違いなのではと思い「えっ、これが息子さんですか?」と問うと「はい、息子のボブです」と見せられたのは、小型犬シーズの写真でした。
正直、驚きました。てっきり本当のわが子と思っていたので、申し訳ありませんが、少しホッとするとともに笑みがこぼれそうでした。でも○○さんにすれば会いたいと真剣な思いで来られているので、私も心を切り替えました。

亡くなってからずーっと家に居てるのがわかっていました。

「なぜお会いしたいのですか?」と聞くと「亡くなってからずーっと家の中にいたのです。居てるのはわかりました。イスにタオルなどを掛けているとボブがその下を通るとタオルの下の部分に顔が当てって持ち上がるなど、その気配はしっかり感じていました。部屋を締め切っているから普通ならそんなことは起こるはずはありませんよね。アッ部屋の中を歩いているとか、私が寝ている時も足に寄りかかって寝ているなど何度も感じるのです。
しかしこの1ヶ月まったくその気配を感じないのです。ひよっとしてどっかへ行ったのかとか、成仏して天国に行ったのかと、それでこちらにお伺いさせていただきました。体験談にペットのことも書いてあったので、日本スピリチュアル協会さんしかないと思って来ました」。

会えて吹っ切れた思いです。

コンタクトを開始するとすぐにボブがやってきました。
「わぁ〜やってきました。うれしそうにぴょんぴょん私の膝の上にのろうとしています。ボブちゃんうれしいの? ママもうれしい」と抱えるように抱っこされました。「もう最高です。会えて良かった。長いこと家に居たけれどやっと天国へ行けたのね」と話されます。
そして数分後「アッ消えてしまいました・・・・・天国へ帰ったみたいです。さみしいけれど、でも良かった」と涙ながらに語られました。「私がペットロスになって心配してくれて、ずーっと側にいてくれたと思います。これで私も何かしら吹っ切れた思いで、さわやかな気持ちになりました。ありがとうございました」と感謝のお言葉をいただき帰られました。

★A子さんの場合/幼くして亡くなった息子に会いたい。

○年前、幼いお子様を交通事故で亡くされたというA子さん。偶然,当協会が出展していたイベント会場で“死んだ人に会える”というポスターを見て受けてみようと思われたとのこと。

「死んだ息子に会えますか。もし会えるのならぜひ会いたいのです」と言われ、その人の名前と死んだ息子さんの名前を書いていただきました。宇宙との交信を開始して、ナチュラル意識が強く出だして数分を経た後、心の中に現れてきますよ。と声をかけると、突然、目からいっぱい涙があふれだしました。

「ごめんね、ごめんね、許してね」と両手で顔を覆いながら、何回も何回も声を出されていました。そして何分間、うなづいたり、笑顔を見せたりされていました。

お別れのとき、また涙があふれてきました。私が「しっかりハグされたらどうですか」と言うと,本当にハグされるかっこうで泣かれていました。

明日から明るく生きていける

終ってから「まさか、会えるとは…、会えて良かった。」○年前、一緒にお出かけして、ちょっと目を離した隙に交通事故で亡くされたとのこと。私のせいで、大切な息子を死なせてしまったと、ずーっと後悔の念にさいなまれていたそうです。そして何度自殺しようと思ったか・・・

分かれる時に、息子さんから「ママありがとう。ママがんばって。ボクが見てるから」と言われ、その言葉に今まで、心を覆っていたつらい想いが、すーっと取れて行くのを感じたそうです。私もいっぱいもらい泣きしました。

お母さんは「明日から明るく生きていけそうです。ありがとうございました」と声をかけていただきました。
「会えて本当に良かった」と心から思いました。

★B子さんの場合/亡くなったお母さんが、娘に最後にかけた衝撃の言葉。

B子さんは一昨年,脳溢血で亡くなった母親に会いたいとのこと。急に亡くなって何も話せないままだった。

中学生からグレて、高校も中退、家出もして、子供も生み、離婚を繰り返す、なかなか家に帰らないなどなど、30歳を過ぎても親には迷惑をかけっぱなしで、いつの日かお母さんにちゃんと謝まろうと心に思いながらいたのに、それが果たせずに母が死んでしまった。だからお母さんに会って謝りたい。とのこと。
その人の名前と死んだお母さんの名前を書いていただきました。数分が経ってから、心の中に現れてきますよ。と声をかけると目の前に現れてきました。「お母さん、怖い顔をしている」と私に言われました。

声をかけてあげてくださいと言うと、「なぜ娘がここにいるのか、わからなかったから、つい怖い顔つきになった」との説明。

お母さんの最後の言葉に、真のスピリチュアルを感じた。

女性2

じゃーお母さんにちゃんと謝ろうというと、B子さんは何かを語りかけている様子でした。その間、ずーっと涙が出ていました。最後、お母さんが「会いに来てくれてありがとう」と言ってくれたそうです。
そして印象的だったのは、B子さんがお母さんに「最後、何か言いたいことがある?」と尋ねると、お母さんは「今度、また親子として生まれ変わったら、ちゃんとお前を育て直すから」と言われたそうです。その言葉に、死んだ後も親子としてのつながり、ソウルメイトとしてのつながりや思いを強く感じました。
謝ったし、許してみらったし、成仏していたし、本当に胸のつかえが取れましたとB子さんからお言葉をいただきました。本当に会えて良かったです。スピリチュアルはある意味、霊魂は数珠のように切れることのないメビウスの輪のようなものかもと感じます

★C君の場合/小学2年生の時に亡くなった父に会いたい。

キリッとした端正な顔立ちの若い男の子C君がイベント会場の私たちのコーナーにやってきました。

「お父さんに会えますか?」といきなり言われ、理由を聞くと「小学2年の時に病気で亡くなったお父さんに会いたいのです。最近お父さんに会いたい‥そのことばかりが頭に浮かんで、とてもつらいです」という。

15、16才位に見えたのですが、年齢を聞くと何と13才。わざわざ新幹線で、1人でやってきたとのこと。

「会えるだけでいいです」と表情はとても真剣でした。ご家族は今日のこと知っていますか、尋ねると「母が知っています。ホームページでこんなのがあるから、行ってみたらと言われ、往復の旅費も出してくれました」。

そしてコンタクトタイムを始めました。最初はうまく行きません。彼が緊張していたのと会場が騒がしいのが原因でした。昼過ぎから再チャレンジで、「お父さんとの想い出の場所は」というと「家の近くの公園でサッカーをしたのが一番の想い出」という。そこでその公園で会いましょうとイメージを作ってもらいました。

父の息子を真に思いやる言葉に感動。

そうするとお父さんが、公園の向こうから歩いてきている父の姿が出てきました。C君の目から涙があふれでてきました。「思い切りハグしてくれてます」とC君。もっともっとと声を出していました。歯をくいしばりながら嗚咽をこらえていました。

「お父さん、C君に大切な言葉をくれるよ」というと、C君は父の話しを聞いているのか「うん、うん」と数分間うなづいていました。最後にまたハグをしてお別れをしました。

コンタクトが終った後「お父さん、何か言ってた?」と問うと「しっかり勉強して高校、大学へ行きなさい。一人旅をしなさい。お母さんに甘えるな」と言われたという。

他に言わなかったですかと問うと、口を一文字に結んで「死んでしまってごめんって。父親として何も助けてやれないのが、残念だけど、でもお前ならがんばれるはずだ。だから頑張れ」と言われたという。その間も涙は止まりません。声をふるわせながら答えていました。

“死んでしまって何も助けてやれない。だからがんばれ!お前ならがんばれる!”このお父さんの言葉に、お父さんがいないという現実を息子に受け止めさせる真の愛情を感じることが、できました。

C君のお母さんからお礼の電話が・・・

それから1ヶ月ほど経って、何とC君のお母さまからお電話をいただきました。「奇跡ってあるのですね。本当にお世話になりました。帰ってきてから息子が変わったように前向きに明るくなりました。母1人子ひとりで寂しい思いをしていたのか、私に対する暴言や暴力があったのですが、それがいっさい無くなりましたし、休みがちだった学校も休まずに行くようになったのも、あれ以降です。ホームページで偶然見つけて、頭に響くものがあり、お願いして良かったです。縁を感じて申し込みました。本当にありがとうございました。」という内容です。

家庭内暴力もあったようです。でもお父さんの魂と出会ってから、すーっと母に対する甘え,いらだちの心、腹立つ気持ちも、取れたようです。

本当に会えて良かったと心底思いました。

★Dさんの場合/亡くなった妻の両親に会いたい

「実は、私は会ったことがないのですが、妻の両親に会いたいのです」と60才半ばくらいのDさん。「どうしたのですか」と私、「妻の両親は,妻が小学生のとき交通事故で死亡して、死んだ後、当時健在であった妻の両親に育てられたのです。ですから、会えるものならぜひお会いして、遅まきながらご両親に挨拶したいのです。

結婚して以来、ずーっとそれを思っていました」とDさん。そしてたまたまこのスピリチュアルのイベント会場があり、妻がスピリチュアルに興味があることもあり、何気なく入場、当コーナーを見て、来られました。「正直、うそと思いましたし、インチキ、とかも考えましたが、まっ、会えなくてもいいんです。一度やっていただきますか」ということで、体験を行ないました。

やっと念願が叶いました。

開始から数分たち、奥様のご両親が現れますよ、と声をかけると、大きくうなづき、目を強くつむり、あごをぐーっと引き寄せられました。「どうですか?現れましたか」と問うと「はい。お二人とも来られています」「はっきり見えますか」の問いに「はい、姿,形はかなりしっかりと・・・でもお顔がぼんやりしてはっきり見えませんが、きっと妻の両親です。まちがいありません」「じゃーご両親様に,ご挨拶されますか」と言いますと、「はい」と答え、何かをお話しされている様子。
ソウルコンタクトが終ると「何か、夢なのか幻なのか‥よくわかりませんが、お会いすることができました。また目の前に来ていることを肌でも感じました。結婚してから、ずーと思っていただけに、孫も出来た今、それだけが心の中に、残っていました。もちろん思うだけで、60年も前に死んだ人に会えることも、普通に考えたら無理だとわかっていましたから、いや〜こんなことって本当にあるのですね。夢を見ているような気分でした。でも起きていたのは間違いなかったのですが・・・」

「ご両親様は何か話されましたか?」「いえ、なにも、ただただ頭を下げて,私に感謝されておられました。初めてお目にかかることや、孫のこと、夫婦仲が良いことをなどをお話ししました。本当に喜ばれているのを感じました。何か夢を見ているような感覚でしたね。」とおしゃいました。

最後に「よかった。これで、やっと念願が叶いました。」と言って帰られました。お会いできて良かったですね。

★Eさんの場合/死んだお父ちゃんに会いたい

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当コーナーにやってこられたの は80才前後の女性とその娘さんです。「お母ちゃん、お父ちゃんにあいたいんやろ」「会いたいけどな」「会えないで、もともとやから、とにかくやってもら お、お願いします。会えたらええな」と娘さんは失礼ながら大阪のおばちゃんらしい人でした。

お母さんと少しお話しました。「なぜご主人とお 会いしたいのですか」「死んでもう20年以上経ちますけどなぁ、夢にも出てきません。生きてた時も家では何も話さへん人やったし、めんどくさがりで、何を 聞いても、うるさいとか、いうて・・・結婚した時から、ずーっとそんな感じで、本当に結婚して、お父ちゃんほんまに良かったんかどうか、幸せやったんかど うかも聞きたいし、ほんで今、どうしてんのかも知りたい」。

私は「お母さんご自身は,結婚していかがでしたか」と聞くと「よーわからしまへん。見合い結婚やったし親が無理矢理決めた話しやったし。でも子供も3人出来て、みんな独立してそれは良かったと思っています。こんなんでも会えますやろか」。
そこでコンタクトを開始しましたが、お母さんがどうもヘッドフォンがしっくり行かないみたいで集中力も削がれている感じがしました。

そこで時間をあらためて、娘さんと一緒にしていただくことにしました。コンタクト開始から約15分、少し時間がかかりましたが、娘さんの方にお父様が会いにやってきました。

お父ちゃん来てる、来てるで!

「お父ちゃん来てる、来てるで」と言うと涙があふれて来ました。お母さんもうんうん言いながら泣き出します。「お母ちゃん、わかるか、来てるで」「わかる、わかる」とお母さん。

私は「お母さん、ご主人が来ているのが見えますか」と問うと「いや、見えへんけど、娘が来てると言うた時、来てる感じがしたし、ほんまにそばに来てる感じがする」と言われました。

さらに私は「娘さんはお父さん、しっかり見えてますか」「はっきり見えてます。にこにこしてます。家ではあんまり笑わなかったけど、それに死んだ時よりも若いです」「お父さん、ハグしてくれますよ」というと、号泣されました。

「お母さんに代わってお母さんのメッセージを伝えてあげてください。お父さんが返事を返してくれますよ」と言うと、涙を流しながら話されている状況がうかがえました。
そのつどお母さんに「お父ちゃん、お母ちゃんが大好きやて、今でも大好きやて、結婚してよかったて言ってる良かったなお母ちゃん。みんなのことちやんと見てるから」と色々と言葉を伝えられました。
コンタクトが終ると、お母さんは「ありがとうございます。お父ちゃんが結婚してほんま良かったんかどうか。それが気がかりで、脳溢血であっという間に死んでしまって何も話しする間もなかったので・・・これで私もいつお迎えがきてもええです」と
娘さんもお母さんも、大変感激されましたし、感謝もされました。

★RRさんの場合/出会った幽霊が何を頼みにきたのかを知りたい?

関西のあるビジネスホテルで、真夜中、若い男女の霊がやって来た。

大阪で開催されているスピリチュアルのイベント会場に来られたのは30歳位の男性。「先生だと信じてもらえると思うのですが・・・バンドマンをやっているのですが、数年前◯◯市のビジネスホテルに泊ったのです。最初の日の真夜中、身体が急に重たくなり、フッと目を醒めると足もとに若い男女の幽霊が正座しながら、頭を下げているのです。何度も下げるのです。幽霊なんて全然信じない性格なので、夢でも見ているのかなと思い、昼の疲れもありそのまま寝てしまいました。
朝になって変な夢を見たなと思っていたのですが、スタッフが集まっての朝食の時、仲間のバンドマンの1人が急に『昨日な、オレの部屋に幽霊来よったぜ。ほんまやぜ』というのです。内容を聞いて正直びっくりしました。まったく同じなのです。」足下に若い男と髪の長い女の幽霊が出て来て、頭を何回も下げて、何かを頼んでいるようだったとか。後は布団をかぶって震えていたとのことで、気がつくと消えていたというのです。
その話しを聞いて「えーっ、オレの部屋にも来たぜ、その幽霊」と言うと、このホテル、やばいん違うかとかの話しになり、全員でどうしょうかとか言っていましたが、結局仕事の関係上予約していたこともあり、しかたなく予定通り後2泊することに。
もちろんホテルのフロントに幽霊が出たとクレームし、部屋のチェンジをお願いしましたが、そのような話しは今までないとのことと、大きな地域イベントで部屋が満室のためルームチェンジはできないとの返事でした。

次の日も次の日も、やって来た。

彼の話しの続きです。「しかしその幽霊1回だけでなく、そして次の夜もあらわれてきました。疲れているので“出て行け、早く成仏しろ、もう出るな”とか言ったような気がします。朝の食事時その話しをすると現れたのは私のところだけでした。その現象は、次の夜にも現れました。それも私のところだけでした。また同じように出てくるなとか言って拒否したと思います。」
「じゃー今頃になって何か気になることがあるのですか?」と問うと「そうなんです。あれから年に何回か、夢に出てくるのです。シチュエーションはあのホテルなんです。何か私に頼み事をしてほしいのではないかと思えてしょうがないんです」「それはあるかと思いますね。あなたと波長が合うのかもしれないですね」「エーッ! それってマジやばくないですか。それに結婚したばかりで子どももできるんですけど・・・」
「霊サーチをかけてみましょう。見えてくるかもわかりませんし、ひよっとしてその理由がわかるかもしれません。わかるとよいですね。」
「身内でもないのに大丈夫ですかね」「だいじょうぶですよ。ご心配ならお帰りの際、縁切りを行ないますから」

某有名なお寺で、施餓鬼供養をお勧めする

霊サーチをかけると「あっいますね。ホテルの廊下に座っています」「もし近くに寄れるなら、寄ってみてください。そして何をしてほしいか聞けるなら聞いてみてください。」「女性の方の声が聞こえます。おせんこうを立てて下さい。お線香をたててください。と聞こえてきます。成仏したいとも聞こえてきます」「名前は聞けますか」「そのふたつしか言わないみたいですね」。
霊サーチが終った後、「たぶん無縁仏として葬られたのでは、だから成仏できずにあのホテルの当りでさまよっているのではと思います。お盆も近いので施餓鬼法要を◯◯◯寺ですることをお勧めします」とそのやり方をその方にお教えしました。

後日、その方からお電話があり「◯◯◯寺へ行って、施餓鬼供養をし、また大きな木の板(経木)に◯◯ホテルでお会いした男女の霊と書いていただき、きちっとお経もあげていただきました。そうするとその晩夢の中にその二人があらわれ、ありがとうございました。本当にありがとうございました」と涙ながらに礼を言うのです。それも後ろには後光のさしたようなあり、宗教もあんまり信じなかった私が、救われるとはこういうことかと、言いようのない感動みたいなものを覚えました。私もこれですっきりしました。私こそ先生にありがとうございましたと、言いたいです。本当にありがとうごさいました。
成仏されたのですね。良かったです。

★Fさんの場合/死に目に会えなかった祖母に会いたい

死に目に会えなかった田舎の祖母に会いたいというFさんがやってきました。小さい頃からずーっとかわいがってくれた祖母。九州の小さな田舎町に育っただけに都会の憧れは人一倍強く、高校を出たら絶対都会へ行くと決意し、大学はわざわざ大阪の大学を選んだとのこと。もちろん両親は大反対でしたが、反対するばかりと思っていた祖母が賛成してくれたおかげもあり、大学も就職も大阪でかなったそうです。

「身体の具合が悪いと聞いていたのだけれど、もともと健康だけが取り柄のような人だったので、大丈夫だろうと勝手に思って数年ほど帰らなかったたら、急に容態が変化し、あわてて帰ったのですが、亡くなってしまって、まさか死ぬとは・・・。元気な時に帰れたし、正月も帰れたのに、帰らなかった。肝心な時にも、間に合わなかった。だからごめんね、と謝りたい。心の中にそれだけが大きな重しとなっているようで・・・」とのこと。

ちゃんとわかっているから、と祖母

女性1

今は、死に目に会えなかったことが私の一番の後悔となっていますので、よろしくお願いしますとのことで、コンタクトを開始しました。

すぐにおばあさまが現れてきました。号泣号泣の言葉しかない位、泣かれぱなしです。私も驚くほど泣かれていました。ご本人の性格かもしれませんし、またそれだけ会いたい、会ってちゃんと謝りたいという意識が強かったのかもしれません。

対面が終ってからお話をお伺いしました。「おばあさんに会われていかがでしたか」「まさか本当に出てくるとは・・。すぐに帰らなくてごめんねと謝りました。おばあちゃんは気にしなくていいよ。ちゃんとわかっているから。会いに来てくれてありがとう」と言ってくれたそうです。

「本当にこんなことってあるのですね。ありがとうございます。感謝しかありません。おばあちゃんに会って、謝ることが出来て、心が本当に本当にすっきりしました。ありがとうございます」と何回もお礼の感謝をしていただきました。

★Gさんの場合/スピリチュアルフェチを自認光と女

「スピリチュアルフェチなんです」と語るGさんは30代半ばの女性。フェチと語るだけであって、今まで何と50人くらいの霊能者や霊媒師の方に会ったそうです。

その中にはテレビで有名な霊能者さんはもちろん、イタコさん、ユタさんにも会って実際に体験し、試されたそうです。

「それはもう全国に行きました。マスコミの評判、インターネット、口コミなどなどから、これはと思う霊能者に会いに行きました。大好きなんです。こんなのが!信じているんです。ですから他の人より詳しいと思いますよ」とのことで、当方にプレッシャーをかけられました。

「色々なところに行かれていかがでしたか。凄い人とかおられましたか」というと「最初降霊して話した時は、凄いと思う人もいましたが、5分10分経つと、何か途中から、これはちょっと・・と」「ちょっとって何ですか」「うーん、これは違うぞっ、という感じですかね」「霊能とか霊媒には、その日の調子や、頼みにこられた方の相性と呼ぶ霊界、霊との相性もありますし」と私も否定できない立場だけにそう申し上げました。

また後から、仏像やお数珠が一方的に送られてきて不快な思いもしたことがあったそうです。
いろいろな前段階の話しを聞いていると、「料金はホームページの値段でよいのですか」との質問に「もちろん、その料金のみで後は一切ありません」と申し上げるとさらに「CDとか絵とか、仏具とかもありませんか」「何もありませんよ、ご安心ください」と申し上げました。
霊商法をされているケースでは、たしかにあります。相談者の弱みにつけて“成仏できていない”などといい法外な値段のところも事実あります。これはご注意ください。

弟さんと会い、ハグの感覚もしっかりありました。

さてGさんの話し、若くして病気で亡くなった弟に会いたいとのこと。弟さんは高校の時に病気にかかり約2年間闘病の末、亡くなったそうです。
それでは始めましょうかというと「絶対会えますか」「うーん難しい質問ですが、80%の方々がお会いできてます」「じゃー5人のうち1人は会えないということですね。微妙な割合ですね」と苦笑いされていました。(★2018年〜2019年にかけては、会える成功率はかなり下がっています)
しかし天とのコンタクトを開始するとすぐにGさんに反応が現れました。「向こうから歩いてきているのが見えます。弟です。」といわれ、大粒の涙を流され始めました。
「話したいことや、聞きたいことがあれば、どうぞ」と話すと色々とはなされている様子です。その間も涙は止まりません。お別れのときハグをし
そして弟さんは天へ帰られました。
「いやー、あったんですね。こんなのが、霊的なことは興味も会っていろいろ知っているつもりでしたが、こんなやり方があったとは知りませんでした。今日もひょっとしてだまされるのではと思ってましたが、本当に納得しました。しっかりハグした感覚もあり、びっくりしました。本当にありがとうございます」とお礼の言葉をいただきました。
お話し上手でユーモアもあるGさんでしたが、弟さんの話しになると涙目になり、弟さんの深い愛情を感じました。

会えて良かったです。

★Hさんの場合/夢にしか出ない彼女に会いたい

「夢に出てくる彼女に会いたいのですが」「亡くなった彼女ですか」「いえ違いま す。夢にしか出て来ない彼女なんです。彼女いわく、私への未練を早く断ち切ってほしいと言うのです」「ええっ、つまり実在していない彼女なんですね。今ま で会ったことも町中で見たこともないということですか」

未練を早く断ち切ってほしいという、その意味とは

女性ヌード

「そうです。月に2~3回位夢の中にあらわれてくるだけなんです」「割と回数が多いですね。なぜでしょう」「その理由がわからないのです。ここ2~3年くらいそれが続いています。1年に1回とかなら、何とも思いませんが、こんなに多いと何かあるのかと思うでしょう。

し かも夢って朝起きたら、ほとんど忘れているでしょう。でも彼女の夢は、朝、目をさめてもしっかり覚えているのです。何となくと変というより、メチャ気にな るんです。ですから、なぜしょっちゅう出てくるのか、断ち切るとは何なのか、何を言いたいのか、何かをしてほしいのかを、はっきり知りたいんです。可能で しょうか」
「以前、あなたと同じように夢の中に出てくる女性に、自分の人生が左右されているという体験をお持ちの方はおられました。まぁ、似てるような似てないような…でもその方はしっかり彼女と出会えましたので、やってみる価値はあると思います」
ということで開始しました。

前世で恋人同士、まるでロメオとジュリエットのようなお話し

約 5分くらい経ったとき「やはり亡くなった方のようです。それもだいぶ以前というか、50年くらい前です。まさに夢に出てくる彼女です」「断ち切ってほしい といういう理由を聞いてみましょうよ。」はいっと言って色々話したり、聞いたりしている様子「やはり前世で恋人同士だったそうです。
両親の反対とか周囲の反対とかで、うまく行かず、最終的に分かれた後、二人とも早く死んだみたいです。

私は気づかなかったけれど、心の奥底では彼女への断ちがたい思いがあって、今の世になってそれで今後の私の結婚なんかに障害となるので、断ち切らないと新しい女性との関係もうまくいかないというのです」

思い当たるふしがいっぱいあり、今納得しました。

「今まで何人かの女性とつき合って来られたと思いますが、思い当たるふしとかありますか」

「いやー本当にそうなんです。好きな女性が出来ても、あなたには別に好きな女性がいるとかいわれて、否定してもうまくいかなかったケースが多いです。今日ここへ来て、ようやく理解できた気がします。でも断ち切るには・・・じゃーどうすればよいですか」と言われ「前世療法で、彼女に会ってみて、色々話されてみてはいかがですか。話すことであなたの心がどんどん癒されていくうちに、奥底に隠れていた未練は消えると思います」とお答えしました。

私のところに来て、彼女のあらわれる理由が納得できたとのこと、もちろん前世療法士もご紹介しました。
その後、結果はどうなったか残念ながらお聞きしてはいませんが、こういった前世にまつわるケースもあるのだと思いました。わざわざ彼女が地上にまで降りてきて、彼氏のことを思い、色々アドバイスというかサジェッションというか、していたことになります。

★Iさんの場合/信じていなくても会えますか?

あるイベントに出展しているとき、ワークショップが終って、私たちのブースに30才位の女性がやってきました。前のイスに座ると同時に「本当に会えるの?」とやや強い調子で投げかけられまし た。

「絶対とは言えませんが、多くの方が会えています。試してみられたらいかがですか?」「あまりこういうのって信じられないし、好きではないし、信じな いと余計に会えないでしょ、会えなかったら、信じる気持ちがないからと、すぐ宗教家は言うし。だからイヤなんです」と言われるのにもかかわらずなかなか席 を立とうとはされません。

私たちは宗教ではありません。なぜならこの場限りの出会いだからです。

「以前知り合いの人に誘われて、ある○○○という宗教に入ったのです。霊能者がたくさんいて、会いたい人の橋渡しをしたり、霊能 鑑定をしたりしてくれるという宗教です。誰にも当てはまるような霊言で、また会いたい人に会えるという割には会えず、それを言うとあなたの修行が足らないからの決まり文句ばかりで、結局納得できずやめました。」
新興宗教の中には、信者獲得の為に、霊能を謳っているところはあるみたいで、霊能をどうとらえるか、どう自分の心の中で消化させるか、正直中々難しい問題です。納得出来るかたもおられるし、出来ない方もおられるとしか、言いようがありません。
「私たちは宗教ではありませんし、この場限りの出会いです。法外な料金も請求はしません。どうされます」と問うと、素直にお願いしますと言われ、ソウルタイムが始まりました。

父がきっちりと答えてくれました。おかげですっきりしました。

始 めてから約5分位経つと、目から涙が流れ「今会っています。ハッキリ見えます」それから色々話されている様子がうかがえました。

終わってから「良かったで す。兄弟間で人にも言えない悩みがあったのですけれど、父の一言で、目からウロコというのでしょうか、すっきりしました。信じる信じないは別ですけれど、今日という日 は、貴重な1日になりました。ありがとうございます」と感謝の言葉をいただきました。

またひとつ会えた人ができた。また成功談ができたと思いました。

★Jさんの場合/なぜ夢に出てくるのか聞きたい?

イベント会場、昼からの1番目の希望者です。ポスターを見ながら「ほんとでっか?あやしいなぁ?」と大阪で言うぶちかましです。

「会えるなら亡くなった彼女に会いたい」という40才くらいの男性です。

夢の中では彼女は死んでいるのに、というのはわかっているのに

なぜですかと問うと「最近、よく夢を見るのです。夢の中では彼女は死んでいるのに、というのはわかっているのに、彼女は病気でありながら元気で、夢の中であちこちに行ったり色々話し合ったりしているのです。
でも彼女肺がんで死んでいるのにというのもしっかり頭の中で感じているのです。でもまるでかつて生きていた時のようにタイムマシンで時代をさかのぼっている感覚でしたかね。」

結婚する予定だった、でもその前に病気で亡くなる

「それで・・・」「そう、なぜよく夢に出てくるのか、非常に気になるのです。彼女とはボクが大学4年生からつき合いました。4〜5年くらいつき合っていましたかね。結婚もする予定でしたが、その前に亡くなりました。悲しかったです」話しが終ってから、魂の呼び出しを始めました。
「会えるといいですね」というとおおきくうなづかれました。
5分ほどだって「あっ彼女がやってきました。間違いなく○○子です。元気な時の姿です」と言うと涙が一気にほおを流れました。そして抱く仕草をされ、何度も何度もうなづかれ、うんうん、という声もだされていました。

「しっかりお話しなさってください」と言うと「はい」と言われ約5分前後話されている様子。そしてお別れの時間がきて、彼女は去っていきました。

夢は彼女ではなく彼の心のあらわれだった。

「いかがでしたか?」と問うと「いやー、もう感動しかありませんね。それだけです」「なぜ夢にと、問われましたか」というと「あなたが心の奥の中でいつも私のことを思っているからじゃない?」と言いました。「私は死んで、もう静かに寝ているから、夢の中にも行かない」と言ったというのです。そして「あなたに上げた手紙や写真を持ってるからじゃない?」と言いました。実家にヨメに内緒にした彼女の書いた手紙や写真がたくさんあります。そして彼女は「捨てちゃいなよ。どっちでもいいけど・・・」と言いました。
捨てるかどうかわからないけれど、まだ心のどこかでは捨てたくない気持ちが強いですねと彼。でもまた会いたいですと、おっしゃいました。

★Kさんの場合/お父様にぜひ相談したい?

私の携帯に電話がかかって来ました。「ホームページを見て電話をしました。本当に会えるのですか。」「絶対とは言いませんが80%位の人が会えていますよ」「普通に考えれば、とても信じがたいことと言えますよね」

「そう、常識に考えればそうですが、でも普通に会える方が多いです。」「降霊術ではないとか書いてありましたが」と、色々質問された上で、当方に行くことを決意されたようです。

約束の日に来られた方は50才前後のたいへん恰幅の良い方で、上品な顔立ちが印象的でした。背広の襟には一流企業のバッジが付いていました。

30年前に亡くなったオヤジに相談できますか?

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「亡くなって30年は経つオヤジに会いたいのです」「会いたい理由は?」「それは身内の恥になりますので申し上げられません」と苦渋に満ちた顔で言われ、それ以上、私もお聞きしませんでした。
コンタクトを開始してから、数分でお父さんと会えることが出来ました。
両手を前で組み、色々と話されている様子で、うなづかれているときもあります。ハンカチを出して涙もふかれています。
 

それよりも先生の力がすごい

約30分くらいのコンタクトタイムでした。終わった後、「オヤジがしっかりと答えを出してくれました。今まで悩んでいた苦しみも胸のつかえもスーッと消えました。やはりオヤジはすごかったです。本当にありがとうございました。
オヤジもすごいけれど、それよりも先生の力がすごいとしか言いようがありません。もう感謝しか言葉が見つかりません」
「話されて、どうでしたか」「兄弟のことで本当にどうしょうかと悩んでいたのですが、おやじが『世界でたった1人の肉親やろ、それを大切にしろとというような内容でしたね』あまり詳しくは言いたくないので・・・」
「でも良かったですね」
「別れる時に、先生がハグされてはいかがですかと言われたとき、おやじはきょとんとした表情でした。たぶんハグの意味がわからなかったのだと思います。それで私はおやじを抱きしめました。おやじもしっかり抱き返してくれました。この手に今もしっかり感触が残っています。
私の心残りはおやじと居酒屋へ行って酒を飲みたかった(号泣)のです。それをしないうちに亡くなってしまった。今日、ハグできたことは私の大切な想い出となりました。いやー良かったです。来たかいがありました」

といって帰られました。

 

★Lさんの場合/養父に会って育ててもらった礼をいいたい。

Lさんは以前私どもの体験会にやってこられた方の紹介で来られました。50才でIT会社やいくつかの会社を経営されているとのこと。
もちろんやって来られた目的は、亡くなった人に会いたいとのことで、大変世話になった養父に会いたいとのこと。

私達兄妹を養子に、我が子以上に愛してくれました。

 
幼 い時に妹と一緒に実の両親に捨てられ、実の両親のことはまったく覚えていないとのこと。妹と養護施設で暮らしていたとき養子縁組で今の養父母に育てられ た。
「感謝しかありませんね。血のつながっていない、しかもどこの馬の骨かもわからん子を引き取って育てるなんて、なかなか出来ないですよね。妹が小学生に なった時には、その妹とも養子縁組してくれました。それはうれしかったです。
養父母には子供がいなかった分、本当に可愛がってくれました。その養父は私が27才の 時、あっけなく脳溢血で亡くなりました。その時、南米へ仕事に行ってて、死んだ情報も遅く、日本に帰ったのは1ヶ月は過ぎてからです。もう悔しくて悔しく て、悲しくて悲しくて・・・だから会って心から御礼を言いたいのです。
今の私があるのは養父のおかげ、大学も行かしてもらったし、人としても立派に育ててくれました。その養父に何の礼もせず、何のお返しもせず、それだけが心残りです。

一生懸命働いていた頃の養父が目の前に

 
コンタクトを開始して約10分後、養父が現れました。涙涙で、ただただうなづかれています。「来られましたか?」「はい、目の前に確かに父が・・・」「どんな顔をしておられますか」「笑顔です。なつかしいです。一生懸命働かれていた頃のお顔で、懐の深さを感じさせるお顔で私の好きな顔です。うれしいです」「じゃー伝えたいことや色々お話してください」

息子としてずーっといい子で頑張ってきたその裏に隠された事実とは

終った後いろいろおうかがいしました。「いやー、話しに聞いていましたが、本当に夢を見ているかのような感覚でしたが、父に会えました」「良かったですね。ちゃんと感謝の言葉を伝えましたか」「はい」「どうおっしゃてましたか」
「○○夫は本当にずーっと頑張ってきたね。遠慮もあっただろうけれど、私達に言いたいこともあったろうけれど、ガマンしていたことはわかっていたと。本当は実の親子みたいに親子喧嘩のひとつもしたかったと(号泣)。でもわしにとっては自慢の息子だと(号泣)。後はお母さんのことを頼むと、頭を下げられました」。

文句を言ってくれて本当の親子喧嘩の一つもしたかったと養父

 
Kさんが言うには、正直もらい子に行って、食べさせてもらえるだけでもありがたいのに、勉強机を買ってくれたり、塾などにも行かせてくれた。そして東京の一流の大学にも行かせてくれたとのこと。
中学・高校時代は正直養父母に不満や言いたいこともあったけれど、兄妹がお世話になっているだけに言えず、むしろいい息子、いい娘であろうとしたとのこと。そのことを「ガマンせず、文句を言って親子喧嘩の一つもしたかった」と養父は述べられたとのこと。養父は全てを受け入れられていた、すごい人と思うとKさん。
「でも今考えれば、父の心の大きさ懐の深さが、今の私を作ってくれましたね。今日帰って、母には話すつもりでしたが、今迷っています。私にとって宝物のような人との出会いですから」

★M子さんの場合/生んですぐに亡くなった実の母に会いたい

兵庫県から来られたM子さんは、今30才でもうすぐアメリカへ行き結婚するとのこと。その前にどうしても亡くなった実の母に会いたいと強く思うようになりました。なぜなら妊娠しているのがわかったから、その思いがいっそう強くなったそうです。

心臓病があるのに‥命と引き換えにあえて私を生んでくれた母

 
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色々お聞きしました。「実の母は、私を生むと、同時に持病の心臓が悪化し亡くなりました。父に聞くと、妊娠した時に医師は、母の心臓病のことを考 えて出産は命に関わるので堕した方が良いと言ったそうですが、私を生むと決心したそうです。私の命と引き換えに母は亡くなりました。その母に会いたいのです。
実の母に 会って、私を産んでくれてありがとうって言いたいです。亡くなった人に会える所をずーっと探してました。正直言いますとインターネットを見て、今まで色んな霊能者の所へ行きましたが、本当にこの人はすご いという人はいませんでした。
ここは他の所とはやり方が違うというのをホームページを見て、期待して来ました。今まで行ったところは皆、口移しみたいな感じでしたし、最初のお話の時にうまく聞き出されている感じでしたし、あたりさわりのない霊言とか、家族の話しも違ってたりして失望してばかりでした」とのこと。
 

霊能力の高いM子さん、すぐに母親と出会う

「会えるか会えないかの問題もありますし、会えても何も話さない方もおられるので、その辺もご了解くださいね」「ホームページもしっかり読ませていただきましたから、わかっています」

コンタクトが始まると霊的な潜在能力が高いのか、一気に宇宙へ意識を飛ばして、すぐに実の母に会うことができました。「母がこちらに歩いてきています。写真と一緒の顔です。若いです」と言うと涙があふれてきます。「ハグしましょうね」というと、もう言葉になりません。そして約20分くらい話しをされていました。
 

10才くらいまではそばにいてくれていた母に感謝

コンタクトタイムが終り「ありがとうございます。会えました」とお礼の言葉。どのような話しをされましたかと聞くと「10才くらいまで、ずーっとそばで見ていてくれたそうです。幼稚園の時、父が再婚して継母とうまくいくかどうか心配だったそうですが、今のお母さん(継母)については、『のんびり屋さんで良かったね』とも言っていました。
そしてあなたはもう大丈夫だから、思い通りに生きていきなさい。きっとうまく行くからと…会いに来てくれてありがとうとも言ってくれました」
心置きなくアメリカへ行けますとのこと。お会いした時どんな感じでしたかと問うと「最初、会ったとき、母に色々たずねても何も答えてくれませんでしたが、先生がほらお母さんと心がひとつになっていくよと、言ってくれたおかげで、すーっと母の言葉が聞けるようになりました。不思議としか言いようがないですね。
そして最後に、『孫を抱きたかった』と言って後ろからハグされると、身体がふーっと軽くなる感じがして、何か身体全体がとても気持ちよく爽快な気分になったのには驚かされました。すっきりしましたし、夢が叶えられたし、本当にありがとうございました」。
また1人、亡くなった人に会えました。そして会えたことで心に元気をいただけたと思います。

★Nさんの場合/亡くなった本当の母に会いたい

 
M子さんと同じ亡くなった母に会いたい・・・でも全然違い、人生ドラマの様相をていしていました。
四国から60才くらいと思われる少し小柄な男性がやって来られました。実の母に会いたいとのこと。お話しを聞くと実の母は男性を生むと産後の ひだちが悪く、すぐに亡くなったそうです。
 

叶わぬと思いながらも実 の母に会いたい

3~4才位の時、父が再婚し、子供が2人生まれると、継母の態度が変わり、幼心に居場所がなくなっていくのがわ かったとか。それを見かねた父親が、実の母の祖父母に預け、高校卒業まで祖父母と暮らしたとのこと。
「苦労されたのですね」と私が言うと「そんな事はない ですが、小さい時は、母(継母)の恐い顔しか覚えていないのです。その時は理由がわからなかったですね・・・でも高校生の頃から、叶わぬと思いながらも実 の母に会いたい気持ちが強くなって行きました」
「お父さんや継母の方は、どうされたのですか」「私が引き取られてからは、音信不通で、今どうされているかもわかりません。ただ今の私があるのは、ある意味、父や継母のおかげとも感謝しています」
 

2回目でコンタクトに成功

「そ れでは始めましょうか」ソウルタイムを開始しました。1回目はうまく行きませんでした。午後から再チャレンジで2回目を開始。コンタクトから約20分、よ うやくお母さんが現れて来ました。「目の前に来てくれています。写真で見た母に違いありません」「やっと会えましたね。それでは色々とお話をされて下さ い」
 

なくなったはずの実母が死んだ後に父に頼んだことがわかった不思議

ソウルタイムが終わった後「いかがでしたか」と問うと、「色々と話をしましたが、わからないことが多いのか、だまって笑っていることが多かったですね。ただ田舎のおじいちゃんおばあちゃんに育 てられたよと言うと、その時母は『それはお父さんに私から頼んだの』と言ったのには驚きました。
それまで継母が無理やり父にさせたのではと、心の中では 思っていたので・・・理由を聞くと生活が苦しかったから、このままでは大変になると、継母も子供3人抱えて、本当に苦労されていたのよ。だからわかってあ げてね、と言ってました。知らなかったです。それだけわかっただけでも本当に来たかいがありました。」
そして終わりました。
 

数週間後、Nさんから電話が‥それも不思議でした。

それから数週間経って、その男性からお電話がありました。
「実はあ れから継母から電話があったのです。父が亡くなったと。お葬式に行きました。継母とも会いましたし兄弟とも会いました。気持ち良く迎えてくれました。そこ でさらに色々な事情もわかりました。父や継母が決して見捨てしようとしたのではないこともわかりました。先生のおかげとしか言いようがありません。本当に 不思議なご縁をいただきありがとうございました」
ホントに、我ながら、こんな話ってあるんだと、不思議でした。
 
 

O子さんの場合/ユタをめざす覚悟をご先祖から

ご存知の人も多いかと思いますが、沖縄にはユタという霊能者というか霊媒師シャーマンがいます。沖縄では地域信仰の中心的な役割や神の代弁者であり、色々にことを見通す力があるとされています。
 

ユタを継ぐという宿命を感じさせるO子さん

今から10年ほど前に、大阪で住んでいる30才くらいの小柄で可愛い顔立ちをした女性がやってきました。当時私は心理カウンセラーを行なっていました。心をリラックスさせたいとのことでした。いろいろお話をしていくうち、沖縄出身でユタの家系とのことで、いずれは沖縄へ帰って、ユタの修行を積み、ユタになるようなことをいわれました。
作家内田康夫の小説でユタを題材にしたものがあり、興味があったこともあり、O子さんは沖縄の神や霊能の話しをされました。色々お話しするうち、O子さんに、実は、私もこのようなことが出来ます。たぶん力がありますというようなことを言ったと思います。
 

ご先祖様とユタの神様との出会いをお手伝い

 
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O子さんは「それでは私もご先祖や私を守って下さる神様もみたいので、今していただけますか」ということで、やって見ました。ユタのプロになろうかという女性に行なうということで私も真摯にかつ興味津々(失礼ながら)に行ないました。
正直一気に彼女には現れました。やはり今考えても「すごい!」と思います。約1時間くらいのコンタクトタイムでしたが、ご先祖様から発せられる言葉を次々と発せられていて、この人は「何という人だろう!」「本当にユタは凄いなぁ」と実感したことを覚えています。
また彼女を守ってくれている神とのコンタクトも成功し、沖縄に帰って早くユタの道に進みなさい。待っているというような内容だったと思います。

ユタのDNAを持っていると感じさせた驚異の時間

コンタクト中はまさにシャーマンそのものだったと思います。発せられる言葉もその内容も、直接的には私自身関わりはありませんが、ソウルメディエイターとして「ユタのDNA」を持っているこのO子さんの能力を目の前で見れたことは、今の私の大きな大きな財産であり、また今の私の大きな源泉となっていると感じ、彼女との出会いはそれだけに感慨深いものがあります。
コンタクト終了した後、O子さんはやはり家系として継がなければならない宿命と覚悟を持てたようですと話されていました。
かつてユタは琉球王朝時代、日本統治時代も含め歴史的に弾圧されていたときがあったそうですか、それでも沖縄の人々の間に今なお絶大な地域信仰として根付いているには、それなりのパワーがあると思いますと話され、私も実感しました。まさに実感しました。
実はそれから2週間後ほどしてもう一度来られたのですが、それはユタとは関係なく、子供の心理相談として来られました。その時は、やさしいお母さんの顔をされておられました。

そして今は、沖縄に住んでおられます。なぜって沖縄で二人目か三人目か知りませんが生まれて、その小さなお子様が携帯をいじって遊んでいる時に、間違って私の電話の短縮を押してしまったのです。そしてO子さんも電話に出られ、少しの間お話しすることができました。これも不思議な縁だと感じました。

 
 

Pさんの場合/父に会いたい。兄のことで相談したい。 vatican2

Oさんは55才で某市で公務員をされています。私のところへは紹介で来られました。

お兄さんの借金で家庭崩壊の状態に

兄の借金の名義人になり、Oさんは家庭崩壊に近い状態になっているとのことで、どうすれば良いか父に相談したいというのが理由でした。
「それなら弁護士さんに相談された方が良いのでは?」と言うと「それは十分すぎるほど相談しましたが、なかなか当方の考えとはほど遠く兄弟とはいえ、お金の問題となると大変です。今思えば、きっぱりと断るべきだったと後悔しています」
「お父さんに、どのようなことを相談されるのですか?」「やはり私も年ですし、兄との関係をどうすべきか、ですかね」わかりましたということでコンタクトを開始しました。少し時間はかかりましたが、お父さんがOさんのところにやってきました。

血をわけた二人だけの肉親やないか。その気持ちを忘れるな。

「やって来られましたか?」「はい、死んだときより若い父です。笑顔で迎えてくれています」ということから始まりご相談をされたようです。約15分位で終りました。「いやーすっきりしました。父の私達二人の息子に対する思いがよく分かり、何より私達のことをよく理解してくれていました。兄に対する気づかない部分を教えてくれたり、けっこう世話になっていたりしていた部分を思い起こさせてもくれました。最後に『たった血をわけた二人だけの肉親やないか。その気持ちを忘れるな。お金のことも何とかなるから』とのことでした。父の言葉に改めて感ずるものがありました。兄に対しても腹立たしさもすーっと消えましたね。ありがとうございました。
兄のことで悩みだしてかに、TVで有名な占い師さんや霊能者さんにお会いしたそうですが、よくわからなかったとのことでした。お父さんと会えて良かったですね。

Qさんの場合/叔母のことで父に相談したい

私達のコーナーにやって来たのは中年の女性で、ちょっと深刻な様子です。前回のイベントの時、私達のコーナーが気になり、どうしても聞きたいことがあり、今回意を決して来られました。出展者リストに出ていたので、来たとのことです。

亡くなった人に会いたいのですが、父です。

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その理由はと聞くと、今、父の妹である叔母が私の家にいます。ずーっと独身で、ここ数年体調が悪く、誰も面倒を見るものがいなくて、私たち夫婦が引き取った とのこと。

でも認知症を患い、段々認知症が進んでいて、施設に入れようかどうか迷っているとのだそうです。そこで父に会って、どうしたら良いか、相談 したいとのこと。
お父さんがしっかり応えてくれると、いいですね。

叔母の面倒を見ていることに感謝!

コンタクトが始まって約5分後に、お父さんがやって来ました。◯さんはも う涙涙です。「じゃ、お父さんに相談してみて下さい」「はい」と答え色々と話しをされたりうなづいていたりしてる様子がうかがえました。

コンタクトタイムが終わって、お父さん様は何と言われていましたかと問うと「父は叔母をみていることにとても感謝してくれてまし た。◯◯をここまで面倒みてくれて。感謝しかないと。施設に入れる入れないかの判断は◯◯さんと相談して決めなさいと。まかすよと。

父から叔母の今の気持ちを聞かされ、叔母の気遣いに感謝

でも◯◯は今、おまえ達に感謝する気持ちと迷惑をかけ たくない気持ちも強いよって。でも、言い出すのが怖い。これっきりになるのではないかとか、そんな気持ちも出てくるみたいだからね。と言っていました。それをわかってあげてねって。

認知症でどんどんわからなくなっているのに、叔母はそんな気持ちを持っていたなくて、そこまで気づきませんでした。それから父はこれから大変になるか ら、おまえ達の生活もあるから、夫婦でよく考えてね。と。言ってくれました」

叔母はずーっと教師をしていたそうで、老後のこともしっかり考え貯金や年金もあり施設に入れるのには何の問題もないとのこと。

「今日、父に会えて良かったです。本当にありがとうございました」

Qさんの場合/元暴走族の彼が母親に会いたい

30歳位の、男性がやって来ました。5年前に亡くなった母に会いたいとのこと。理由は子供のときグレにグレ て、母親に口では言い表わせないほど、本当に迷惑をかけ、ようやくマトモに仕事をしだした時に、あっけなく亡くなったそうです。

今になって思うといいおふくろだったし、私達子供のために一生懸命働き通しだった。亡くなってから気づくことっておおいですね。

「気がついた時は、おふ くろと妹と3人で暮らしていました。父親は今だにわかりません。おふくろは一切言わなかったですね。戸籍を見ても私達兄妹には男、女としか書いてなかった ですから、今風に言うならシングルマザーです。朝から晩まで働いていましたね。
貧乏でしたよ。それに家に帰っても母親がいないし、帰ってくるのも 深夜で、そのうち私は悪い友達に誘われて・・・高校に入るとゾクに入って、いっぱしの悪を気取ってました。

警察に捕まるなど、そのたびに仕事場から抜けて、警 察署に駆けつけて警察官に頭を下げていました。高校2年生くらいになると、やっぱりこのままではマズイな、と思いましたがなかなか仲間とは切れなかったで すね。」

「お母さんとの一番の思い出は?」「高校生の時に、ケンカして警察に捕まったときに、警察署の中で
おふくろは『息子は本当は優しい気の良い 子なんです。友達に誘われると断れないんです。子の責任は親の責任です。私を留置場に入れて下さい』と大きな声で言って、ワンワン泣くんです。それが聞こ えてきて、カッコ悪いという気持ちが先立ちましたが、また本当に申し訳ないと思いましたね」「いいお母さんですね」「今考えればいいおふくろだったと思いますね。その当時は口うるさいとしか、またいい服も着てなかったから、色あせた服ばかりを着ていて、あの当時は母のことを“きたない服ばかり着て”と恥ずかしいとしか思わなかった ですが・・・」

女として一番輝ける時に、おれがつぶしてしまった。

「そのお母さんに会いたい」「そうです。仕事場で倒れて、そのままで亡くなりました」「原因は何でしたか」「くも膜下出血です。慌てて駆 けつけましたが、亡くなった後でした。泣けて泣けて、悪童で通っていた私がこんなにも泣くなんて・・・やっぱりおふくろという存在は特別な存在であること を改めて認識させられました
「お母さんに会って何を伝えたいですか」「面倒かけて迷惑かけてごめん。そしてありがとうって・・・他には色々あり過ぎて・・・おふくろの一番女として輝く時期に、着たきりすずめのように毎日同じ服を来て頑張っていた、そのことも理解が出来ずに・・・俺が馬鹿だったばかりに、台無しにしてしまってごめんね・・・」

生まれてきてくれてありがとう。その言葉にQさんは母の存在は特別な存在と実感

そしてソウルタイムが始まりました。コンタクトを開始して約10分後にお母さんが現れました。◯さんはもう号泣です「おふくろが泣いています」「えっ、どいうことですか?」「おふくろも会いたかったと」そしてお二人の時間が始まりました。
終 わった後「本当にこんなことってあるんですね。会社の女の子に聞いて半信半疑で来たのですが、いや~良かったです。」「色々話されましたか。」「はい、 色々と。苦労をかけた、申し訳なかったと言いましたら、お前の母親だからね、と笑ってました。父親のことを聞きましたら、忘れた、とこれも笑ってました ね」。

「最後に何と言ってましたか」「わたくしが、生んでくれてありがとうって言いましたら、それは、こっちのセリフよ、って。生まれて来てくれて ありがとう、って、反対に言われました」
深い深い愛情を知ることができて良かったです。Qさんから感謝の言葉もいただきました。今は結婚され、まじめに大型トラックの運転手として働かれているとのこと。「今日は来て良かったです。明日からの仕事にも力をもらった気がします」とさわやかな顔を残して帰られました。

Rさんの場合/障害を持って生まれた弟に会いたい。

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50歳半ばのいかつい顔をした男性がやって来ました。「死んだ弟に会いたいけど、会えるんやろな」いつものことな ので慣れてはいますが、顔を見るとちょっと怖く「絶対とは言えないです。成仏していないと会えないと思いますし、私とあなたとの相性もありますしね」 「ちゃんと言い訳も用意しているわけや」と高飛車な話し方でびっくり。「100パーセントなら私もうれしいですが、やはり会えない方はおられますから」ちょっと考えた後「ふーん、分かった、頼むわ」と言われ、 お話をお伺いしました。

22才で亡くなった弟は家族の宝物だった。

会いたい弟さんは障害を持って生まれ、22歳で亡くなられたそうです。「ダウン症ですわ。当時は平均寿命が20歳位と言わ れ、老化の進行が早いのも特徴とか言われました。やはりダウン症ならではの色々な病気が、次から次へ出て、心臓やら、頸椎やら、手術もいっぱいしてね、両親もたいへんやったな。手術の跡が体中にありましたなぁ。それを見るたびに母親は、よう 泣いてましたわ。私も小さい時の思いでいうたら、弟がしょっちゅう入院してるというイメージしかありまへん。
母親は『こんな◯◯◯◯◯に生んでゴメンね』ってね。よく言ってましたな。ホンマ辛かったやろと思いますね。
でも当人は明るい性格でね、ピュアでね、ポジティブでね、どこにそんな力が潜んでいるんやろと思いましたなぁ。ダウン症やったけど、会話も思考も普通でした。ユーモアもありましたし、話してて家族が笑いにつつまれることもありましたし・・・それだけに母親にしてみれば不憫やったやろと思います。

ひどいイジメにも負けない弟に、家族が勇気をもらった。

小学校や中学校で結構、ダウン症ゆえにひどいイジメにあっても、ガマンして負けないで学校へ・・・頑張ってましたな・・・。どれほど私たちの方が助けられたか、勇気づけら れたか分かりません・・・。可愛くてね。ホンマ可愛くてね。家族にとっては宝物でしたな。弟に会いたいですわ。ホンマに会いたい・・・(涙、涙、私も涙がいっぱい出てきました)」
そ してソウルタイムが始まりました。最初はうまくいきません。そこで私は「オレはダマされないぞとか、どこかにインチキとかの気持ちを排除して、会いたいと いう気持ちを高めて下さい」というと素直に「はい」と返事し、再度チャレンジ。

イジメられていた時、お兄ちゃんが助けてくれた、うれしかった!

約10分後「弟さんが向こうから歩いて来ますよ」とかけると、「ウッ」と声 を出し、後は涙涙・・・
さぁ弟さんに声をかけてあげてくださいというと、約10分間ほど交流があり、弟さんは帰られました。
「ずーっと弟 に会いたくてね。正直言いますと、テレビに出ていた霊能者のところにも行きましたが、よくわからなかったですわ。でも今日先生にお会いして、良かったで す。」

「会われてどのような話をされましたか」「いざ会うと何を話していいか、出てこなくって、でも弟は学校で、イジメられていた時にお兄ちゃ んが何回も助けてくれた。うれしかった。・・・(号泣されていました、私も)。
最後にお母ちゃんに、ありがとうって・・・ありがとうって・・・今でも大好きだからって・・・天国から見てるからって・・・」

私もいっぱい涙と爽やかさをいただきました。

私 ももらい泣きする事はありましたが、ここまでのケースはありませんでした。帰られる時、怖いいかつい顔が、目をはらしながらも、とても優しいお顔になり、言葉づかいも丁寧になっ ていました。このお話をホームページに紹介してもいいですかと、お伺いすると、先生のところをたくさんの人に知ってほしいからと、快諾していただきまし た。

こちらこそいいソウルタイムをありがとうございました。

Sさんの場合/私を憎んでいた父に会いたい。なぜ憎んでいたか聞きたい!

40才くらいの男性がやって来られました。ホームページがきっかけで興味を持たれたとのことです。
「一昨年に亡くなった父に会いたいのですが」「なぜお会いしたいのですか?」
「いや~、実は父にはいい思い出がなくて、私が幼かった頃から、かまってくれなかったというか、愛を感じなかったというか、何か生まれながらに嫌われていた感じでした。兄弟3人で真ん中なんですが、私を見る目だけが違うんです、子供心にわかるんですよ。

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私を見る目に、愛は感じることが出来なかった。

他の兄弟を見る目には、愛情をみることができるんですが、全然180度違うんですね。“なぜボクを見る目が違うんだろう、なぜ冷たい目で見るんだろう”とずーっと思ってましたね。」
「お母様はいかがでしたか?」「母親は優しかったですね。わけへだてなくかわいがってくれてましたね」
「お母様にお父さんのことを言いましたか?」「言いましたね。でもそんなことないよって笑ってました。そんなこと思っていたなんて知らなんだとも」

オレはオヤジの子供じゃないんだとか勝手に思ったりして。

「Sさん自体の思い過ごしとかでは?」「いやいやもう、そうゆうレベルではなかったです。中学生になると確信を持ったですね。オレはオヤジの子供じゃないんだとか勝手に思ったりして」
「それについてお父様とお話をされたことは」「いやーなかったです。話し合う雰囲気がないんです。父親と私の間に大きな壁があって。私も医師免許を取って、ずーっと海外で勉強していて、なかなか帰らなかったですね。

父のことを思うと帰る気もなくて、そうこうしているうちに父が亡くなってしまったわけなんです。でもやはり父の気持ちを知りたくなってきて・・・亡くなってからなぜだったんだろうと疑問がますます深くなるばかりです。わかりますか? 」「今、もしお父様が存命だったら聞けますか?」「そう、今なら聞けます。でも死んでしまった。どうしょうもないなと思っていたんですけど、女房がホームページを見て、こんなのあるからと言ってくれて、私も拝見して、だからお伺いしたわけですけど・・・」

いつもと違うたんたんとしたソウルタイム。

 

「お父様、ちゃんと応えてくれるといいですね」といい、ソウルタイムが始まりました。ものの数分でお父様が現れてきました。「お父様は来ましたか」「はい今目の前にいます。こちらをしっかりと見据えています。いつも私を見るどこか冷めた目ですね。」「じゃーしっかりと胸の中に抱えていたものを、話されてはいかがですか」「はい」と言って色々と話されている様子。「はい帰りました」とSさんから終わったとの言葉が・・・「いかがでしたか、ちゃんと聞けましたか?」との問いに「○○雄(Sさんの名)は、小さい頃から意思の強い子で、勉強もスポーツと友達関係もすべてに満点をつけれる子だったから、何も言わない方が良いと思ったと言う。自分の手で全てのレールを敷いて走れる子だったし、事実そうだったではないかと。」「じゃーなぜ憎んでいたかは・・・」「いや〜憎んでいたことなんて、ないって言ってましたね。頭の良さにびっくりさせられ、むしろオレの息子にしては凄いヤツと思っていたけど、ただ言えることは、ちょっと自分ができるだけに人をバカにする傾向があったね。親に対しても兄弟に対しても他人に対しても、モノの言い方がきつかったなぁって。そのような気持ちが少し歪んで、自分は親から可愛がられていないと、感じたんではないか。

お父様は愛情を口に出すのが苦手なタイプだった。

親に対してその言い方はないよって、言いたいことたくさんあったって、言ってましたね。」「人に対してはズケズケと言うほうですか」「ヨメからも注意されますね。人の気持ちがわからない人だって。ヨメはあんたはアスペルガーだからって、よく言われます」「なるほど、人にも誤解されやすいタイプですね」「オヤジはわかってたんですね。言い返したくても、絶対口では負けると。だからずーっとガマンしていたというわけですね。愛情がなかったのは思い過ごしで・・・よく父から言われたのが、言っていいことと悪いことがあると・・・。今日父とあって、まぁ、理解できました・・・が、また来ます」と言ってSさんは帰られました。
小さい時から口達者で、言い負かさないとガマンできなかった性格だったそうです。今もその傾向は続いているとのこと。
お父様は、その性格を直せともよく言っていたそうですが、それが顔に表れていたのではないかと今思えば理解できますとのことです。

Tさんの場合/亡くなった彼女が現れ、不思議な体験をした!夢か現実なのか、それを知りたい。女性の部屋

35才くらいの男性がやってきました。亡くなった彼女に会いたいとのこと。今から10年以上もの話しで、Tさんは彼女との結婚を真剣に考えていた矢先、スキルス性胃がんに冒されていたのがわかり、発覚して約1年後に亡くなったそうです。

亡くなって半年後、彼女が私の布団の横に来ていた。

若かったから進行も早く、どんどん悪くなるのを見るのがつらかったといいます。
当時4年近くもつき合っていて、なぜわからなかったのかと悔やみ切れない思いをしたそうです。
私が「なぜ今会いたいのですか」と問うと深い意味はなく、先日久しぶりに友人たちと飲んだとき彼女の話しが出て、皆から「性格のかわいい女の子やったなぁ、生きてたらお前と結婚して子供2・3人生んでたん違うか」と皆でなつかしく彼女を思い、しのんだそうです。
そしてふと、その時、死んでから約半年くらいして、寝ている時に彼女がやって来たことを思い出したのがきっかけで当方に来られました。

夢だったのか、本当だったのか、疑念が???

「死んで半年くらいたって、とても不思議な経験をしました。真夜中に気配を感じて、ふっと目をあけると彼女が布団の横に座っているのです。もちろん彼女が死んでいることは十分理解しています。どうしてここにいるのと、彼女に聞くと『会いたかったから』と答えました。私は彼女の手を取り引き寄せ、抱きしめました。そうすると生前の彼女の身体そのものの感覚を感じました。さらに強く抱きしめました。
そして彼女を抱こうとして彼女を横に倒して、覆いかぶろうとした時、彼女は私を下から両手を突っ張り『あかん、したらあかん』というのです。
なぜと問うと『あなたが戻れなくなるから』といい、頭を横に振り拒みました。私もハッとして手を離し、その後はずーっと抱き合ったままだったと思います。
また来てくれるかな、と問うと何も応えず、もうそろそろもどる時間だからと言って立ち上がり彼女は笑みをたたえ『ありがとう』と言って静かに消えていきました」

彼女を抱きしめた感覚も、とてもリアルでした。

「私は夢ではなかったのですか?」と問うと「わかりません。しかし本当に鮮明な記憶に残っていますし、彼女を抱きしめた感覚もしっかり残っています。だから何なんだろうと思って、それをはっきりと証明したいので、こちらに寄せていただいたのです」と答えられました。

そしてソウルタイムを開始しました。そして交信を開始してから5分ほどたつと、彼の心の中にやってきました。「元気な時の彼女です。笑っています。そしてとてもリアルです。本当に来ています」「じゃー色々と話しをなさってください」
そして5分くらいたってソウルタイムは終りました。

病気で何もできなかったから、たった1回きりのお願いを聞いてもらった!

「いかがでしたか、彼女はなんて言ってましたか?」「間違いなく彼女は私に会いに行ったと言ってました。お願いをして会いに行ったと。長い間、病気で苦しんでいたので、デートも何もできなかったから、たった1回きりのお願いを聞いてもらったとか。

私はまた来てくれといいましたら、無理と言いましたね。
今日みたいな形では会えるかと問うと、あなたにはこれからの人生を大切にしてほしいから、もう会うことはないと言ってました。良かったです。心の中でそれがずーっとモヤモヤしていたので、わかって良かったです。」

「彼女は1年間病気で苦しんでいたので、私に対する心残りがあってそれで会いにきてくれたのです。うれしかったです。会いに来てくれてありがとうって言いました」
彼女はやはり会いに来たのがわかって、すっきりしたとTさん。
じつはこれと似たような、お話とご依頼を以前にも受けたことがあります。
愛する人に、最後の別れを告げに来る。本当かどうか。私は本当だと思います。

★Uさんの場合/釣りに行って亡くなった友人に会いたい。天国に行っているかどうか知りたい。!

40歳くらいの男性が私達のコーナーにやって来ました。20年前に海で亡くなった友人に会いたいとのこと。なぜ会いたいのかとお聞きすると、その友人と釣りに行き、その彼は磯で波にさらわれて、海に落ち込み溺死、遺体は2日後、見つかったそうです。
海に落ちたところは、全然見ていずしばらくは気づかなかった。いつ海に落ちたのかもわからなかったそうです。

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ご家族の方にも申し訳なく、一緒に落ちて死んでいた方が、マシと思った。

「ショックでした。まさか海に落ちて死んでいるとは思いもしませんでした。
ご家族の方にも申し訳なくて、つらくて、当時は本当に一緒に落ちて死んでいた方が、マシと思いましたね」「なぜ、今会いたいと?」「いや、彼のことをふっと思いだし、会いたいなっと思って、そこでホームページをみたら、あったので」
「親友でしたか?」「大学が同じで、クラブ活動で知り合って、釣りが趣味で、気が会いましたね。やはり生きていて欲しかった。会えるものなら会いたいですね。もし天国があるとするならば、天国に行っているかも知りたいし、今はそれくらいしか言えません。」

1回目は失敗、2回目に友人が・・・

そ してソウルタイムが始まりました。しかしUさんのどこかに、雑念とか疑念とかがあるのか、うまく行きません。中断して「何か、会うことに疑問を持ったりしていますか?このよう なことは半分信じられないとか」と問うと「インチキとかイカサマとかの思いはありますし、どうしてもそれはついてきますね」「でも彼に会いたいのです ね?」「はい」「それでは疑念など余計なことは考えないで、彼のこと思って集中してください」

(男性の方はこのタイプが多く、なかなか現れにくい人もいます。)
そして再開、5分後に彼はやって来ました。「やって来ました。笑っています。亡くなっているのに変な言い方ですが、元気そうです。」

まぎれもなくハグの感触を味わった。すごい不思議だった。

そして5分後、ソウルタイムは終わりました。「不思議でした。夢か幻か、でも彼とハグしましたがその感触は、紛れもなくハグの感触でした。すごかったです。」
「彼は何か言ってましたか」「会いに来てくれてありがとうって、応援してしているって言ってくれました。でもあんまり話してはくれなかったです。ぼそぼそっという感じですかね。生前はよくしゃべる人間だったのですが、やはり死んだりすると変わるのかもしれませんね。夢でもいっさい出てこなかったですから・・・」

「天国のことは聞きましたか?」「忘れました。でも雰囲気からして、天国だと思います。顔はとてもにこやかで、明るかったですから・・・でも今日は来て良かったです。」

★Vさんの場合/4才の時、亡くなった子供に会いたい。HU122_72A

亡くなった子供に会いたいという、40才くらいの女性。いくつで亡くなったか、そしてなぜ会いたいのか、お聞きしたとたん、何かが心にたまっていたのか、堰を切ったかのように一気に言葉が口から出てきました。

育児ノイローゼで、毎日夫と喧嘩。3才で離婚、親権は夫側に。

4 才の時に、亡くなりました。3才の時に離婚し旦那の方に引き取られました。離婚の理由は夫との不仲と女性関係ですが、当時育児ノイローゼで、夫と毎日口喧嘩をし、い つもイライラし、いつも息子には大きな声で叱ってばかりいました。

近くに住んでいた夫の父母とも、気の強い嫁とか、気のきかん嫁とか言われ、うまくいきませんでし た。離婚の時に夫からはもちろん義父母から「お前みたいなやつには、息子は渡せない」と言われ、私は反対はしましたが、義父母に甘やかされていた子供もおばあ ちゃんがいいと言うので・・・裁判も親権は夫側になり、致し方なく引き渡しました。

あの時の子供の目、今でも忘れる事はありません。でも引き渡したあの頃はウツもあ り、気が滅入っていたため、子供が居なくてホッとしたのも事実です。

4才のとき家の2階から落ちて、重体に。亡くなったのを知ったのも後日。

1年位してから、元夫の妹から電話がかかってきました。家の2階から○○ちゃ んが落ちて大怪我をしたというのです。重体というので慌てて病院に行きましたが、子供は人工呼吸器をつけた状態で寝ていました。

元夫と両親は、私が来たこ とに大変怒りました。妹さんが、間を取り持ってくれましたが、聞く耳持たない感じで、引き上げるしかありませんでした。
約1ヶ月後に治療の甲斐なく亡くなりました。それを知ったのも少し経ってからです。
葬式も知らせてもらえず、死に顔も見れず、お骨も拾えず、本当に亡くなったことを知った時ほど悔やんでも悔やみきれない思いをしたことはありません。もちろん夫側の理不尽な対応にうらんだこともありますが、しかし自分の子供を亡くすことは、これほど辛いことなのかと思いました。

怒ってばかりいた自分を思い起こし、申し訳ない気持ちでいっぱい。

別れたとはいえ、親として何もしてやらず、親らしいことも何もせず、死に目にも会えず、怒ってばかりいたことばかりが思い起こされ、しばらくの間は子供に申し訳ない気ばかりが出て自分を責めてばかりでした。親として、人として、最低だと思いました。
あれから10数年経ちますが、最近、どういうわけか、何かにつけ思い出すのは子供のことばかりです。なぜか分かりませんが、何かあるのではないかと気がかりなんです。その理由も知りたいです。という内容でした。
とおだやかな話し方の中にも、親としての後悔の念を感じました。
こんな親ですが、死んだ子供に会いたいです。会えるものなら会いたいです。

何も語らない息子が、最後に思いもかけない言葉を

1回目のソウルタイムはうまくいきませんでした。2回目のソウルタイムを開始して10分後、子供が現れてきました。「やってきましたか?」「はい、あのころの○○です」「まずはしっかりとハグして・・・そして色々と話されてはいかがですか?」そして交流が始まりました。

7分後「いかがでしたか」問うと「何も話してくれません、何か固まっているみたいで、別れるときも(夫側に引渡すとき)こんな感じだったですかね」「お子さんは笑顔ですか?」「いえ、反応がないみたいで・・わたしが悪いから当然ですよね(涙)・・・ありがとうございます。もういいです」「じゃ、最後に、もう一度ハグしてお別れしましょうか。」「あっ、ママと言ってくれてます。何回も何回も・・・そして泣いています・・・良かった」

そしてソウルタイムが終りました。幼い息子さんもきっとお母さんに会いたかったのだと思います。

会えて良かった。

★Wさんの場合/人生落ちぶれて亡くなった父に会いたい銀河うず

50才くらいの男性がオフィスにやってきました。
「ここは亡くなった人に会えるという、霊能者がおられるところですか」といきなりの質問。霊能者かどうかはともかく、そういったスピリチュアルは行なっていますと応えると、今から25年以上も前に亡くなった父に会いたいのですとの話し。

商売に失敗し倒産、そして夜逃げ。その繰り返しの父

おうかがいするとお父様は和歌山で大きなお店の跡取りとして生まれ、大学を卒業してから店を手伝っていたそうです。
お父様は祖父が亡くなって自分が社長になると同時に株やあずきや商売や色々なものに手を出し始め、そのほとんどが失敗、残ったのは多大な借金で、倒産し夜逃げ。子供の時、その借金取りから逃げるために、大阪、鳥取、四国など転々としたそうです。

「地方へ行っても、どこにそんなお金があるのか小さな商売を始めるのですが、居酒屋とか飯屋とかお菓子屋とか・・・それもどれも見事に失敗続きでしたね。兄がいたのですが、中学を出ると、そのままぷいと行方知れずに、友人に聞くとやくざの見習いをしているとのことで、それ以後、母が亡くなった時に一度あったきりで連絡もありません。

私は中学の時に、子供のいない父の妹夫婦の養子になり、今に至っています。大学も行かせてもらったし、企業にも就職しましたし、それこそ感謝ですね」「あなたは恵まれていた?」「そうです。兄は生まれたときからヤンチャがすきでした」
「なぜお父様にお会いしたい・・・?」

オヤジの人生を辿り、本にしてみたいのが動機。

「私が養子に行ってから、全然会っていなかったのです。死んだことも知らなかったです。すべて失敗した父は、北陸の温泉旅館で母と一緒に仕事をしていたのですが、最後はその旅館の寮で亡くなったのを母から聞きました。
亡くなったときの様子を聞いた時、オヤジらしいと思いました。さびしい晩年だったと思います。七転び八倒れで、結構世の中そんな人もいますが、父もその一人だったと思います。そして今、何となくオヤジのことを知りたくなり、何かオヤジのことを本にして残してみてはと思うようになったのです。

こんなジェットコースターみたいな生き方、イヤ、てっぺんから一気に泥に落ち、泥から出ようとして泥の中を這いずり続けた男もおるんやで、というのを書いてみたくなったのです。
定年を機に(若く見えましたが61才でした)時間もできたので、今オヤジの転々とした住んでいたところを巡っています。幸い母が住んでいた住所を残していましたし、母が入院する時、保証人等々の問題で病院から連絡が会ったので、生前に会えて母と色々と話しをすることができました。

そんなどうしょうもない人生を送ったオヤジに会ってみたい。

「お父様はこの世に未練があったと思いますか」「今思うに成功を夢見ていただけに、何かにつけて執着心の強い人だったので、未練はあると思います。けっこう強いと思います」「執着心の強い人は、会えないかも知れません。まぁ、この世に未練があるだけに、天国に行けずにいるかも知れないですね。」「そんなものですか・・・・。でもせっかく来ましたからお願いします」
そして始まりました。5分後くらいお父様がVさんの心の中に姿を現しました。「来ました。父です。間違いないです」「良かったですね。それではお話をなさってください」色々とお話をされている様子で、何度も何度もうなづかれていました。そしてソウルタイムが終了。

お父様の口から出たすごい言葉とは

「いかがでしたか」「まさか・・・会えたことにまずびっくりしましたね。会えないと思っていましたから。それよりびっくりしたのは、オヤジは自分の人生を振り返って、楽しかった、面白かったと言ってました。なぜって聞くと、あれもやり、これもやり、やりたいことやってきたけど、浮き沈みが激しいかったけど、それやから面白かった。よう生きてきたな、と思うと、楽しく思うのは当たり前やと言っていましたね。ずーっと失敗の人生やったけどな、でも面白う生きてきた。お前みたいに大きな会社に入って、ずーっとコツコツまじめに生きてきて、ワシみたいな人生わからんやろうけど、そんなんどこが面白いんや、とも・・・男なら夢を追って生きていかなあかんとも」

失敗の連続だけれど、人生に悔いなし

「お父様すごい人ですね」「本当にそう思います。目からうろこです。オヤジの言う通りです。結局は失敗の人生やったけれどそうかも知れませんね。一本芯が通っていたと。
ひょっとして成功のチャンスもあったけれど・・・たまたま上手くいかなかっただけかもしれないだけかも・・・。スケールの大きさを感じましたね。男としての・・・。到底、私は足もとにもおよばないです。今思うと兄の性格はオヤジ似ですね。今日はありがとうございました」
「会えて良かったです。本の材料になりましたか」「そうですね。色々もっと聞きたかったのですが。また寄せてもらっていいですか。ほんとう、一生の想い出をもらったような気分です」。また来られることをお待ちしています。

★高校生姉妹の場合/父が天国へ行ったかどうか知りたいHD138_72A

高校生の姉妹が来られました。小学生4年生と5年生の時にお父様が亡くなられました。
亡くなられた原因は?とお聞きすると、癌で、もう分かったときは手遅れの状態だったそうです。母の悲しそうな顔はいまでも目に焼き付いて、なかなか忘れられないそうです。

余命半年、でも両親は明るく振る舞っていた。

兄弟は3人で今小学校6年の弟がいるとのこと。当時、医者から余命半年と言われたそうですが、父も母も私達には何も言わなかったとのこと。父も余命宣告を受けていたとのことでしたが、兄弟が見舞いに行ったときは、そんなそぶりは全然見せなかったです。

最初のころはてっきり治るものと思っていたそうですが、これはさすがにおかしいぞ、ヤバイと思ったのは、亡くなる1ヶ月前くらいですねと口を揃えてこたえていました。「お父さんもお母さんも明るくふるまっていたのでは・・・」と問うと「そうなんです。今考えると、両親はつらかったろうと思います。夜1人で泣いている母を見たこともあるし・・・」
「そのお父さんに、ぜひとも会いたいのですね」「はい」と「その理由は」「やはり天国へ行っているかどうか知りたいし、今の私達の生活も伝えたいですし、皆で頑張って生きていること伝えたいです。大学の医学部を受験することも!これも父の病気がきっかけだし、ぜひ合格するように頑張ることを言いたい」
そしてコンタクトタイムが始まりました。

すごい、パパが来ている、目の前に・・・

最初、妹さんだけに来ましたが、どうしても一緒に会いたいとのことで、もう一度チャレンジ。するとお二人同時にお父様がやってきました。
そのとたん姉妹そろって涙があふれてきました。「すごい、パパが来ている、目の前に・・・」
じゃーお父さんに、色々話されてみてはいかがですか。
姉妹は、ずーっと目をつむり頭をうつむき加減されていました。
約10分経ってお別れの時間が来ました。最後に思い切りハグしてみてはいかがですか。
まずお姉さんからというと「本当にハグしてくれています。抱きしめています」
では妹さんの番というと「わぁ~本当にハグしてるゥ、うれしい~」と
お二人とも号泣です。

天国にいるの?と聞くと大きくうなづいてくれた。

終ってからいかがでしたか、と問うと。
お二人とも、同じ状況でした。お父さんはニコニコとしているばかりで、色々聞いても何も答えてくれず、
ときおりうなづいたりするだけで、私たちが知っているよく話すパパとは、違ったとのこと。
でもパパには間違いなかったです。会えて良かったです。それが一番でしたとのこと。
お姉さんは
「天国にいるの?と聞くと大きくうなづいてくれました。天国から見守ってくれているの?と聞いたときもうなづいてくれました。
そして来年、○○大学の医学部を受験するから応援してとお願いしました。これもお父さんの病気がきっかけと伝えると
喜んでくれているようでした」

本当にハグの実感があり、不思議でした。

妹さんは「最後のハグには、驚きました。本当にハグしました。ハグの実感がしっかりありました。とても不思議でした」
それは姉さんも一緒とのことでした。
今日のことをお母さんに話されますか、と問うとお母さんも来たかったそうですが、急な用事ができて
来れなかったとのこと。
「もちろん母に話します。今度は連れてきます。ありがとうございました」と帰られました。
会えて良かった。またひとつソウルファミリーが誕生しました。

★Xさんの場合/事故で亡くなった息子に会いたいaccident

60才くらいの女性が来られました。わざわざホームページを見て九州から来られました。遠くからお見えになる方には、やはり「会えなかったら申し訳ない」という気持ちが先立ちます。もちろん会いたい人の事情によっては、絶対的に会えない理由もあるのですが・・・

深夜、警察から電話。胸騒ぎは当たっていた。

さてその女性は若くして事故で亡くなった息子さんに会いたいとのことでした。いくつで亡くなられたのですかと問うと19才のとき、友人の車に乗っていて、歩道橋の橋桁に激突、運転していた友人とともに亡くなったそうです。

「昨日のことのようです。夜遅く友達とドライブに行くというので、行くなと言っても親の言うことをきく年ではなかったですが、あの時は何か胸騒ぎがして、今日は息子に止めたらと言ったのですが・・・友達にも今日は止めて、うちで泊まればと言ったのですが・・・その予感があたったですね・・・深夜に電話がかかってきたとき、ひょっとして警察からではと感じました。やはりこんなことってあるんだと実感しましたね。本当に不思議です。ですから、なぜあの時、身体を張ってでも無理にでも行かせなかったのかと長いこと悔やんでばかりでした」

今年で17回忌、やはり息子に会いたい・・・

「なぜ今、その息子さんにお会いしたいのですか」と問うと今年は17回忌に当たり、そのせいかよく思い出すとのこと。「やはり会えるものなら会いたいですね。無理なのはよーくわかっているのですが・・・でもこちらさんのホームページを見て、やってみようと・・・」今はお孫さんも出来て、過去のことととらえることができるようになり、心の傷も薄らいでるとのことでした。

ソウルタイムを開始しました。開始してから約10分後に息子さんが、現れてきました。「歩いてきてます。当時のままです。なつかしいです。」というなりあとはずーっと顔を両手で覆いながら長い嗚咽が続きました。「じゃー色々と話されてはいかがですか」と言葉がけをさせていただきました。目をつむって時折り涙を流されていました。そして「今帰りました」と告げられました。

早く死んでごめんね。親不孝してごめんね。

「いかがでしたか」「ニコニコとして、元気な様子で、変なことを言うようですが、なにか安心しました。」「息子さんは何かおしゃってましたか?」「早く死んでごめんね。迷惑かけてごめんねって。親より早く死ぬなんて、親不孝だよねって。K子(妹)がいるから、孫もできたし、安心してるって」。

最後に肩をもんでくれたそうです。息子にもんでもらって、あんなに肩こりがひどかったのにすーっと軽くなったそうです。これも大変不思議だと思うとのことでした。

今日は、息子に会えて良かった。来て良かった。とおしゃっていただきました。遠くから来ていただいて、会えて、良かった〜。実感です。

★Yさんの場合/義理の父に、心から謝りたい

義父と口喧嘩し、ひどいことを言ってしまった。

30才半ばの男性。どうしても義理の父に会いたくて、そして謝りたくて、やってきたとのこと。
「実は、妻の父に謝りたいのです。私事で恥ずかしい話しですが、結婚してずーっと正業につかず、フリーター状態で、それも仕事をしたりしなかったりで・・・子供も生まれたばかりで・・・なのに中途半端な暮らしをしていて・・・そのことで義理の父からきつく怒られました。
いつもは本当に普通の人という感じなのですが、その日は、ずーっとためていたのか、それを私にぶつける感じだったです。自分のことを否定されているような気がしましたし、娘(妻)のこともいいように言わなかったので、私も切れてしまいました」。
「それで言い返してしまった?」「そうです。売り言葉に買い言葉だったですね。こんなことを言うと義父に申し訳ないのですが、九州の離島から中学を卒業して大阪へ出てきて、ずーっと死ぬまで小さな町工場の溶接工として勤めていました。今考えれば凄いことと思うのですが、その時は、頭に血が上っていたのか、そのことを悪しざまに言い、他人のことをとやかく言えるほどあんたは立派なのかと、義父に言ってしまいました」

プライドもあり、すぐに謝れなかった

「奥様にはそのことを言いましたか?」「泣きましたね。お父さんに謝ってと言ってました。その日は感情も高ぶっていましたから、妻の言葉も耳に入らなかったです。2〜3日たってから、言い過ぎたなぁと思いました。」
「でも謝らなかった?」「はい、なかなかすぐには、無理でしたね。プライドが傷つけられたし、心のどこかにわだかまりもできましたし、またすぐに謝るのも恥ずかしかったり・・・でも今考えれば結婚した当初から義父は、ちゃんと仕事をしろよ、と言いたかったのではと思いますよ。私にも娘が出来て、娘が私みたいな人間と結婚すると言ったら、やはり反対しますものね」
「そのお父様が亡くなられた。」「はい、喧嘩して4〜5ヶ月くらいして脳梗塞で亡くなりました。その間、会うこともなかったので・・・後悔しましたし、すまないとも・・・本当に謝りたいです」

介護の資格を取るために勉強中。これも義父の言葉がきっかけ。

そしてソウルタイムを開始しました。5分くらい経って、義父が現れてきました。
「私の前にいます」と涙が出てきました。「じゃーあなた自身の言葉で、しっかり伝えて下さい」。
5分くらいたって「今帰られました。謝ることが出来ましたし、許していただきました。お父さんに言った言葉は本心ではないことも言いました。わかってもらえたと思います。そして今介護の仕事をしていて、資格をとるためにがんばっていることも伝えました。これもお父さんのおかげと言いました」
「良かったですか?」「はい、会えて良かった。謝れて良かった」「お父さんは他に何かいわれてましたか」
「娘や孫のことを頼むと、まだまだ若いからなんぼでもやり直せると・・・一生懸命がんばって生きていくようにと」
Yさんは、すっきりとした表情でお帰りになられました。

★Zさんの場合/亡くなったペットに会いたいP1000818trimming

40歳半ばの女性が癒しスタジアムのイベント会場に来られました。「死んだペットと会いたいのですが、写真があります」と言われ、定期入れを出され、開くと「これです」よく見るとチワワちゃんの写真です。

亡くなったショックを癒すために、会いたい。それで吹っ切れると思う。

「可愛がっていたペットなんです。でも、もう娘みたいなもので、亡くなった時はショックで1週間くらい動けなかったです。何をする 気もなくて、ペットロス症候群というのだそうですね・・・今はとにかく会いたいしかありません。会って、もう一度、抱きたい・・・そうすれば、たぶん吹っ 切れると思います」
そしてソウルタイムを開始しました。約5分位経過、「あなたの心の中にやって来ましたよ。見えますか」そうすると「足もとに来 ています。見えないけれど、足もとで動き回っています。足の指を舐めています」家の中で動くといつも足の周りをグルグルして、止まると指を舐めていたそう で、それを感じたそうです。「とてもとても感じます。ペロペロと舐めてくれています。まるで生きていたときのように・・・」「抱っこされてみては」「顔を 舐めてくれてます。感じます。たしかに顔を舐めてくれてます。」
終わった後、その方は「亡くなってから、引っ越しをしたんですけれど、今思うと、その亡くなった家にはもういなくて、ずーっと私のそばにいてくれていたと思います。何かそのような気がしていたのですね。だから余計にさみしくなっていたと思います。それが私のそばにいてくれたことがわかったことで、何かスッキリしました。引っ越した先はペットが買えないので、焼きもちも焼くことないですからね。○○ちゃんも安心ですし・・・ここへ来て良かったと思います」

早く土に帰して、天国へ。

そう、死んでからもずーっとご主人の足もとにいた○○ちゃん。お骨はと聞くと家に置いているとのこと。そこで私は「お寺さんがされてるペット霊園があり、そこへお骨を持ち込み、土に帰してあげる方が良いと思いますよ」とアドバイスしました。

★会えなかったAAさんの場合/幼い子を3人も残して死んだ弟に会いたい。

30 歳位の女性が来られました。昨年、癌で亡くなった兄に会いたい。幼い子を3人も残し、死んでしまっただけに今、兄の気持ちはどうなのか知りたいとのこと。

子供の未来のことが聞きたい。

両親も孫のことが気掛かりで、本当は息子がなくなったショックも強いと思うが、やはりこの先の孫のことが心配だとか。
「兄は今死んでどういう気持 ちなのか知りたいです。もし残された家族の未来もわかっているのなら知りたいです。よく言いますよね。自分の人生は、生まれた時から決められていて、いつ どんな病気をするかとか、いつ死ぬかなどもわかっているとか。死んだら残された家族のことが、今後どうなるか、わかっているなら兄に聞きたいです」

仕切り直しても会えず、結局残念する。

そしてソウルタイムを開始しました。「現われときますよ」と声をかけましたが、出てきません。もう一度仕切りなおししました。
「姿 を見えないんですけど、白い煙のようなものが、目の前に出てきて、兄の顔に似ています」そこで私がハッキリ姿が見えてきますよ、といくら声かけしてもそれ 以上のものは現れません。「でも兄だと思います。感じるんです。優しかった兄だったので・・・きっと子供達のことが心配で、天国に行きたくても行けないん だと思います」「お兄さんですかと呼んでみてください」「はい」「いかがですか」「なにもないです」そこで煙の中に入っていただきました。「いかがです か。より強く感じるものはありますか」。「何かを感じるのですけど、それだけです・・・やはりためらっているのでしょうね。今は天国に
行きたくないのでしょうね」
今回は残念ながらお会いすることはできませんでした。

妹さんが感じられたように、残された家族のことが心配で、天国へあえて行かないのかも・・・。

★BBさんの場合/小児がんで亡くなった息子に会いたいHU199_72A

3才の時に発病、完治。しかし再発!

7才で亡くなった息子に会いたいと、40才前後のご夫婦がやって来られました。お話を聞くと小児ガンで亡くなったとのこと。「3才の時発病しました。急に 元気がなくなって、何をするのもしんどそうにしていたので、近くの病院に連れて行くと、大学病院を紹介され、そこで小児ガンと言われました。目の前が真っ暗になりましたね。一瞬ウソと思い ましたし、まさかうちの子がというのが正直な気持ちでした。1年後に完治して、元気になって喜んでいたのもつかのま、2年後に再発し、1年持つか持たないかと言われまし た。」「おつらかったですね」

ボク死んじゃうの?

「その息子に会いたいのです」と涙ながらにお母様が言われた時、もうそれだけで私も涙がいっぱい出てきました。
「私たちもつらかったですが、ガンと闘っていた息子は本当に大変でした。早く楽にさせてあげたいというより、ガンに勝つ奇跡を信じたかったです。ガンをなおせる人がいるとか、治せるスポットがあるとかと聞くと、息子の調子の良いとき連れていったりしました。本当になおせるなら何でもチャレンジしたですね・・・仕事も手につかなかったです」
ある時お母様に「ぼく死んじゃうの?」と聞かれた時があったそうです。ハッとして「ウウウン、死ぬわけないじゃん」と答えたそうですが、それからその言葉をいつ言うのか、言われるとどうしょうとか、心がしめつけられるほど怖かったとのこと。

ボク天国いけるかなぁ?

「な ぜお会いしたいのですか?」「ちゃんと天国へ行っているか知りたいのです。」とお母様。「死期が近づいてきた時に、僕天国行けるかな?」とよくお母様に聞 いてきたそうです。その時は「順番からいうと、お母さんが先に死ぬのだから、天国で待っているよ。◯◯ちゃんはおじいちゃんになってからおいで」と。
そしてソウルタイムが始まりました。5分後、夫婦同時に◯◯ちゃんがあらわれてきました。ご夫婦揃って「よかった」の声。天国へ行かれていることを確信されました。
「しっかりハグしてあげてください」と言うと、特にお母様は両手を抱え込む形でしっかりハグされてました。「お話ししたいことも色々あると思います。ぜひなさってください」。

お二人とももう涙しかありませんでした。ソウルタイムが終った後、「息子に会えて良かった。天国に行けてて良かった。実は今日は◯◯の誕生日で親に会いに来てくれたと思います。」

そしてお二人とも来た時とは違って、とてもすっきりとしたお顔をされて帰られました。良かったです。

★CCさんの場合/排ガス事故で亡くなった友人に会いたい。

自殺か事故か、それが知りたいです。

50歳半ばの男性が来られました。亡くなった友人に会いたいとのこと。15年程前、車の中で、寝 てしまって排ガス事故で亡くなったとのこと。「車をガレージに入れて、エンジンをかけたままそのまま寝入ってしまったそうです。
冬の寒いときでもあり、暖 房をつけたのでしょうか。しかし葬式の時に、かつての同僚が『どうやら自殺らしいで』とどこから聞きつけたのか教えてくれました。確かに会社を辞めて独立 してやりだしたのですが、経営は苦しかったみたいで、大変やとはよく言ってました」「なぜ今になって、お会いしたいのですか」「そう、この間夢に出てきた のです。何も語らずただ立っていただけなんですけれど、今まであまり夢に出てくることはありません。

彼にクレームを言ったことが引き金かも、それが知りたい。

彼とは、彼が独立してデザイン事務所を設立し てから、深く付き合うようになりました。本当に毎日というほど、わたくしの事務所に来て仕事の打ち合わせをしたりしてました。彼が死んだというFAXが来 た時、てっきり彼の父親の葬式のお知らせかと思ったほどです。本当に信じられなかったですね。
そのちょっと前に私は彼に対して、色々とクレームをきつく 言ったのです。いつも仕事の上では、侃侃諤諤よく言い合いましたが、仕事が済めば、本当に仲が良かった。その時は、いつもなら彼も言い返してやりあうのですが、何も言わずショボンとしていたので、気の強い奴が、あれーっなんで言い返さないのか腑に落ちなかったです。
だから自殺したのかどうか知りたいし、もしそうだ とすれば何が原因かも知りたいですね。ひょっとして私の言葉が原因かも」
「実際に自殺だったのですか?」「いや~わかりません。ウワサですけれど・・・、 奥さんに聞けないし、ハッキリとは」「もし自殺だとすると会えないかもしれませんがよろしいですか」「絶対会えないですか?」「絶対とは言えませんが自殺されても、年数も経っていますし、この世の未練や憎しみや執着心がなくなっていれば、成仏されているとは思いますが、なんとも言えないですね。」「お願いします」ということで始めました。

現れてきたが何も語らない友人。

約 5分後、彼の心の中に友人が現れてきました。「良かった。成仏してたんや」「良かったですね。どう見えてますか」「はい、ハッキリと。笑顔です。色々聞い てみたいことがありますので」ということで始めたのですが、「何も話してくれません」とのこと。そこで「彼の身体に入ってみましょう」とアドバイスすると 「エッ」とビックリされた様子でしたが、「ハイ、わかりました」と言われ、彼の身体のなかに。「アッわかりましたね。彼の気持ちが。何か理解できました。 ははぁ~ん、なるほど」と上手く行ったようです。
終了後いろいろお聞きしてみると、友人は仕事に疲れていて、ちょっとだけ横になるつもりが、その まま寝込んでしまって、一酸化炭素中毒で死んだようです。自殺ではないことがわかり、かつ安心したとのこと。「良かったです。会社経営で苦しんでいるとき に、私の言葉がひょっとして自殺の引き金になったのではと考え、悩んでいたのですが、元気なときの親友のままでした。長年の胸のつかえが取れました。ありがとうござい ます」と帰られました。

★DDさんの場合/別れた嫁の探し物タンス

8年前に離婚した女房が夢に

45才位の男性が当所に来られました。「あの~、こちらで死んだ人間と話しができるとか、会って話しができるとかいうの は・・・霊界と結びついているとか、こちらでいいのでしょうか?」と来られました。男性の方は、何かそんな言葉をかけて来られる方が多いです。
私もどう答えて良いか、苦笑いしながら「ええ、まぁ当方ですが」予 約もなく突然見えられました。たまたまキャンセルがあった時間帯だったのでお話をお伺いすることにしました。
「実は別れた女房に会いたい」とのこ と。奥さんとは8年前に離婚、離婚の理由はご主人が忙しく、なかなか家庭を顧みなかったそうです。
その男性は全然離婚なんて思いもよらず、突然の申し 出に唖然としか言いようがなかったそうです。「浮気もせず、飲む打つ買うもせず、ただ家族のことを思って身を粉にして働いてきたのに、妻の言い分に腹が立 ちましたね。ひょっとして男が出来たのではと疑ったほどです。仕事はゲーム制作会社で、たしかに徹夜は当たり前、土曜日曜も休みなし、スケジュールに追わ れる毎日で、2週間も帰らなんてのはザラでしたね。今で言う超ブラック企業もいいところです。今思えば女房の気持ちはわかるのですが、目の前の仕事を必死 にこなさなければ、会社が成り立たないのですから、もう必死のパッチでした。自分でも思いますよ。 よう、仕事をしたってね。」
「突然の申し出だったのですか」「まぁ、このままだったら離婚するよとかの話しはたしかにありましたが、まさか本気とは思いもしなかったですね。何日かして家に帰ったら本当に彼女のものはなかったのにはびっくりしました」

タンスの引き出しを探す姿にリアルさが・・・

「それが なぜ今になって奥様にお会いしたいのですか」「離婚して4年後に大腸ガンで亡くなって、それが最近夢を2回ほど見て、それもタンスの引き出しの奥を探している夢なんです。とてもリアルな んです。気になって気になって、なぜ探しているのか、それを知りたくて来た訳なんです。それまで夢を見たこともなかったような気がしていたので、よけいに気になって」
「夢の中で奥様にお聞きにならなかった?」「聞かなかったですね。ただ探して いる姿を第三者的に見ているだけでしたね」「そのタンスはご主人のタンスですか?」「いや、女房のものでしたね、確かです。」「そのタンスは今どこにあるのでしょ う?」「離婚してから女房は実家に帰りましたから、再婚もしていなかったので、たぶん向こうの家ににあると思いますが」
そしてコンタクトタイムを開始しましたが1回目は男性の方が かなり緊張されていて、会えません。何か恐怖感を感じると言われ、集中できないとのこと。でももう1回お願いしますといわれ、昼食をはさんで2回目のコンタクトタイムを開始。すると奥様がやってきました。「ハイ目の前に います。別れた時のままの顔で、さわやかです。」
「それでは聞いてみて下さい」「ニコニコしているだけで何も話してくれません」「じゃー別の話をしてみて下さい。新婚の時などの思い出 などを」「笑っているだけで、一緒で、何も話さないですね」
結局何も話さず、何も聞けず、コンタクトタイムが終わりました。

女房の実家のタンスに探し物が・・・

それから1カ月位 たってその男性から電話がかかってきました。「先生、女房の探していたものがわかりました。自分のへその緒でした。あれから思い切って女房の実家に電話 をしたのです。両親は健在で、久しぶりにあいさつ方々お伺いしました。そしてその話をしたら、義理の母が『ひょっとして』と言われ、タンスの引き出しの奥 から、彼女のへその緒が箱の中から出てきたのです。『多分気になっていたのでしょう。だから◯夫さんのところに頼みに行ったのだと思います。やっぱり◯夫 さんのことを信頼していたと思いますよ。別れたこともとっても後悔していましたからね』と義母から言われました。偶然か、どうか分かりませんが、人間の人の想いを感じました。ありがとうございます」と 電話を切りました。
でもへその緒どうされたのか、聞くのを忘れましたが・・。

★EEさんの場合/飼い猫を処分し、その処分した猫の事が気がかり

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霊能者のアドバイスでペットの猫を2匹処分。

40才過ぎの女性の方がやってきました。「ペットも会えるのですか」「たぶん会えるかと思います」と答えると「実は飼っていた猫に会いたい・・・」と言って猫の会いたいいきさつを話されだしました。
その方は、若い頃から関西在住のある霊能者の方に心酔し、仕事や男性、結婚、家、引っ越しなどなどあらゆることにお伺いに立てたそうです。
今から数年前に、主人の会社が倒産し、女性の両親と同居することになる。そして飼っていた猫も一緒に両親の家に。しかし父親が大の猫嫌いでアレルギーのため、霊能者にどうすれば良いのかを相談すると「市役所に行って処分しなはれ」と言われ、びっくり。そして霊能者は「処分しないとあなた方ご夫婦はあの家をでていかなあかんようになるよ」と言われたとの事。
もともとギャンブル好きの亭主のため、家計は火の車で、両親からたびたび援助してもらっていて、引っ越すお金さえなく、なくなく処分したそうです。処分に当たって霊能者に「あとあと大丈夫ですか」と相談すると「大丈夫、ちゃんと天国へ行けるようにしてあげるから」と言われ、処分を決断。処分する日、車に乗せると2匹は大きな声で鳴き、目を見ひらいて、怒りの目で自分を見ていたとの事。「やはり猫は自分の運命のことをわかっていましたね。かわいそうで・・・」「なぜ今になって会ってみたいと」。

猫は執念深いとの話しを聞き、やはり心配に。

ある人にそのことを言ったら「猫は執念深いから、きっとうらんでいるよ」言われ、急に心配になって私どもの所にやってきたとのこと。「かわいがっていましたか」と私が聞くと「もちろん、霊能者に言われて主人と何回も話し合って、悩みに悩みました。でもどうしょうもなくて・・・。処分をした日からずーっとお線香を上げています。成仏してください。うらまないでくださいと言葉を添えています」
そしてソウルタイムが始まりました。「アッ、○○も○○もいます。良かった。天国へ行っていたんや」「では呼びかけて下さい」「はい・・・でもやってきません。じっと見ていますけどこちらへ来ないです。やっぱり怒っているのかも・・・」「あなたからそばに行ってあげたら」とアドバイスすると「アッ、消えてしまいました」。それから何回か試みましたが、結局二度と姿をみせませんでした。

動物の大切な命。なぜ他の道を考えなかったのか・・・

「やはり怒っているのかもしれませんね。でも会えたということは天国に行っていたということで、それがわかっただけでも良かったです」「たぶんあなたが毎日お線香をあげていたことで成仏されたのかもしれませんね。まっ良かったですね」と私の言葉に、うなずかれ帰られました。
良かったのか、悪かったのか・・正直、お聞きしていて、動物の命のことを考えると、霊能者の方も飼い主の方も、他の道もきっとあったと思いますし、なぜ考えられなかったのか合点がいきません。人の都合だけで処分される方は、動物と言えど信頼されていた飼い主からの行ないは、絶対納得いかなかったかと。やはり気持ちの良いものではありませんでしたね。

★FFさんの場合/私に怒りの表情でやってきたFFさん。その理由は。

妻が亡くなったのはパパのせいと娘たちから言われ、その原因は私に?

「あなたに言いたい事があって来ました」と、私のオフィスに予約もなしに、突然FFさんが入って来られました。ハナからやや興奮気味で、お怒りの様子。午後から空いていたため、どのようなことかお話をお伺いしようと決めました。
「お話をお伺いしますので、とにかくお掛けください」と言うと、つかみかからんばかりの勢いでわたくしのソバにこられ、にらみつけるような仕草をされたので「まぁ落ち着いて下さい。とにかくお話をお聞きしますから…。お怒りの理由は何ですか?まずそこからお教えください」と笑顔を無理矢理つくりながらいうと「この間、娘二人がパパのせいでママが死んだんや」と言われ、ついカッとなって手をあげてしまったとのこと。
今まで娘に一度も手など上げて事はなく、娘たちに対して後悔するよりも、その原因を作った、日本スピリチュアル協会に腹が立ちやって来たというのです。「え?え?え?」要点が一瞬理解できず何の事?と思っているとFFさんは「お前な、娘に何をいうたんや。妻が亡くなったのはオレのせいやと言うたのやろ、娘が言っていた」というのです。「お母さんに会えるとかいうて、ウソついて、お金をとったんやろ。他人の家庭をモメさせておもしろいか」と・・・そこで最近来所された若い姉妹の2人を思い出し「はい思い出しました、ママに会いたいと見えられたFさんのお嬢様たちですね。それで理解できました」

奥さんは娘さんたちに『やさしいパパ、よく働くパパ、結婚して良かった』と言われていたのです。

そこで、以前娘さんが来られた時に書いていただいた、ソウルシートを探すと、出てきました。
高校1年生と大学1年生の娘さんたちで「半年前に亡くなった病気で亡くなった母に会いたいとの事」。別々にソウルタイムを希望され、時間を開けてひとりひとり行ない、お二人とも会える事が出来ました。
しかし、そのソウルタイムではお父さんのせいでお母さんが死んだなどのお話はありませんでした。でもじっくりとそのソウルタイムを思い出すと、お父さんは仕事が忙しく、土曜日も日曜日も休みがなく、平日も夜は遅いし、帰って来ない日も多かった。たまに早く帰っても何もしゃべらないし、不機嫌な顔をしていた。家族旅行もしなかった。休みの日も遊園地も行かなかった。よその家ではこのようなことはない。何かひとこと言うとうるさいなど、お母さんも家族も顧みなかった。ような話しでしたが、でもお母さんはそんなお父さんといっしょになって良かった。お父さんはやさしい人。家族のために一生懸命働いているというような内容でした。
娘さんたちは、お母さんと会って話され納得はされていた様子を覚えていたので、その内容を詳しくお父様にお話ししました。
そうするとFFさんは「家の事はすべて妻にまかせていました。勉強の事や進学の事、家のこまごまとした事など・・・だから何も知りませんでしたし、知ろうともしなかったですね。この間ちょっとしたことで言い合いになって、ママが死んだのはパパのせいやと言われ・・・家族のために、妻のために、恥ずかしくない生活をさせたいために一生懸命働いているのに・・・親としてはつい情けないですが、だれのおかげでおまえ達は・・・という気持ちからカッとなってしまいました。叩いた後、しまったと思ったのですが、娘たちから出てきた言葉が、ここのスピリチュアル協会のことです。死んだママに聞きに行ったらママも言っていたというのです」
「ケンカしたはずみから、ついつい心にもない事を言われたと思います。よくあることです。でも奥さんは娘さんたちに『何も言わないけどやさしいパパ、よく働くパパ、結婚して良かった』と言われていたようですよ。娘さんたちに聞いてみたらいかがですか」
というと目に涙をためられて・・・そうするとおもむろに「私も妻に会いたいです。会えますか」ということでソウルタイムを開始しました。

OOさんも奥様との再会を希望され「娘たちに謝って」と

少し時間はかかりましたが奥様が現れてきました。「笑っています」とooさんの第一声。「若くて元気な頃の姿です」そしてお二人だけのソウルタイムが始まりました。
そして終りました。「いかがでしたか」「最初は信じられなかったですが、妻でしたね」「娘さんの事は…」「まずは謝ってくれと、わかったと答えました。あなたのことはすべて理解しているから安心しているとも言っていました」「他には何か」「本当にいつも家にいなかったねと笑って言っていました。今もそうですけど、印刷会社をしていて、カタログやパンフレットなどのデザインも受けているため、毎日がスケジュールに追われて、家に帰るヒマもないくらいです。不満も愚痴もこぼさない妻でしたから・・・亡くなってから本当に私や娘のためによく尽くしてくれていたことはよくわかっていましたから、残念で…くやしくて…(後は涙しかありませんでした)」
お帰りになる際「失礼な事を申し上げて申し訳ありませんでした。でも今日は先生とお会いできて良かったし、ここへきて妻と会えて良かったです」とおしゃってくださいました。そして帰られました。やはり亡くなった人と会えることは、亡くなった人の想いを知る事で、希望される方の心をも癒す力がある事を、あらためて感じました。当方こそ「会えて良かった」と思いました。

★GGさんの場合/ひきこもりの息子が母に会いたいseinen

迷惑をかけた母に謝りたい

やってきたのは見た目は20才過ぎの若い男性。しかしお話を聞くと何と38才。正直びっくりしました。第一印象を申し上げると失礼ですが、お顔も腕も色が白く身体も細く、何か覇気が感じられません。椅子にすわると「母に会いたいのです。」とひと言。そしておもむろに写真を出され「これが母で半年前に急に亡くなりました」との事。死因は心筋梗塞だったそうです。
「いつも迷惑をかけていた母に謝りたいし、自分の今後のことも相談したい」と言われました。
なぜ相談したいのですかというと、「言いたくないので…」「わかりました。では始めますので」と答え、事前にソウルシートを書いていただくのですが、書くのができないと言う感じで。書く事かイヤなのかとも思いました。何かを聞くのがむつかしいそうな感じの人なので、すぐにソウルタイムを始めました。
ものの数分でお母さんが現れてきたようです。「立っています。何も言いません」「お母様に相談したい事あるのでしょ。今がチャンスですよ」と言うと、やや考えた後、口で何かをつぶやいているのです。そして涙を流して謝っているようでした。約5〜6分のソウルタイムでした。
終ってから、お話しました。

ひきこもり30年、両親を苦しめていたことに初めて気づく

いつも優しく見守ってくれているような母が、何か違っていたとの事。「何が違っていましたか」「怒っているような無視しているような、そんな感じでした。いつもやさしい顔でやさしい声で話してくれるのに、ちょっと雰囲気が違いました」「どうしてでしょう?」「死んでいるからかなぁ。でも顔は普通ですし」そして少し躊躇の時間があり、話すのを迷っているようでした。
しばらくして気づいたかのように「たぶん何もしていないからだと思います」。「何もしていないとはどういうこと…」お話をお聞きすると、言いにくそうに口を斜め横にしながら小学校5年生頃から不登校になり、中学も全休、高校も行かず、アルバイトもせず、仕事も行かず、ずーっと家にいたそうです。「ヒッキーです」「えっヒッキー? ヒッキーってなんですか」と問うと、やや少しはにかみながら「ひきこもりです」。ずーっと30年もひきこもっていたとのことで、少し驚かされました。今もその状態との事。(なるほど、それで申込書もしっかり書けなかったのです)
「今、おやじと二人だけで暮らしています。おやじとはいっさい口もききません」「30年もあなたが家にいて、お父さんお母さんはどんな思いだったでしょうか」と問うと「はい、今日、わかりました。両親がとても苦しんでいた事が…、情けない思いをしていたことが…とても泣いていたことが…それにお母さんは、ずーっと泣いていたそうです。そんなこと全然、そんなこと思いもしなかったし、考えてもいなかった。でもよく考えたら息子として気づくはずなのに、なぜ気づかなかったのか」と涙を流されました。

亡くなったお母さんを、もう苦しめないで・・・

15才位の頃は、こんな自分にさせたのはお母さんのせいだと思い、家庭内暴力もヒドく、お母さんをなぐったりけったりして骨折させたこともあったとか。「お母さんに申し訳なくて…」「それにまだ引きこもっている?」と余計なことを私も腹が立ってきていたのでつい言ってしまいました。でも彼は素直に「はい。どうしていいかわからないんです。でも何とかしなければと思い、お母さんに相談したくて、ここに」「お母様は何て、言っていましたか」「自分で考えなさいと、自分で考えて行動しなさいと、お母さんが見守っているからと、言ってくれました。お父さんにも相談しなさいと」
「お母様に謝りましたか」とソウルタイムのとき謝っている様子だったので、そのことを問うと「いいえ、謝る前に帰ってしまいましたから…でも、今日、会ってお母さんから勇気をもらえたような気がします。やりなおせるような気がします」とのこと。ちょっと他人事ながら「一安心」しました。
「お母様が、あなたにかけてくれた言葉、自分で考えて、自分で行動するを、絶対忘れないでね。お母さんを本当に安心させてあげてください。お母さんからせっかくいただいたアドバイスを無にしないで」と最後に声をかけ、終りました。ひきこもる当人も大変だったろうけれど、ご両親の悲しみや苦しさは、もっともっと大変だったろうと思いました。
正直、腹を痛めて生んだ我が子が、30年も引きこもっていたお母さんの思いに、私は、もう静かに寝かせてあげて…とも思いました。

★HHさんの場合 失明していても会えますか?

GGさんと同じで迷惑をかけたお母さんに会いたいとのこと。人間は子供はもちろん大人になってもつねにお母さんが心の中心にいます。とくに亡くなるとその思いがさらに強まるようですね。前と同じような母に迷惑をかけて、感謝したい時に母は亡くなっていた・・・

高校生の時に失明。そのショックで母にひどい暴力や暴言

予約メールが入っていました。そこに書かれているコメントは40歳前後の男性からで、若い頃に原因不明の病気に会い、失明したとの事。失明していますが亡くなった母に会いたいと書かれていました。病気そして失明して、ずーっと父母や兄弟にも迷惑をかけっぱなしだったこと。とくにお母様には失明のショックからヤケになって、つらく当たって大変申し訳なかったと。
その母が10年ほど前に、くも膜下で亡くなり、何にも話せないままだったことが悔やまれるため、ぜひ会って母に謝りたい、苦労をかけた感謝の言葉も述べたいと書かれていました。
そして予約の当日、お姉様と一緒にお見えになりました。
「どうしてこのサイトをお知りになりましたか」の問いに「姉からの紹介です。それまで色々な所へ行きましたが、納得できなかったですね。ひどいところもありましたし、でもホームページを拝見して、ここならと思いました」とのうれしい言葉。でも正直プレッシャーを感じました。そして視覚障害なのにホームページをどうして見る事ができるのですかとちょっと失礼な事を問うと、専門のソフトやスマートホンがあるとのことで「オークションも楽しめます」と言われ少しびっくりしました。

母に謝ることもできず感謝の言葉もかけれない

さて「お母様に会いたいとメールをいただきましたが」「母には病気になってから迷惑と苦労をかけました。高校生のころ高熱が出て、動けなくなり、2~3ヶ月間生死をさまよいました。身体は元に戻りましたが、目はダメでしたね。見えていたものが見えなくなるショックは、想像を絶するもので何度死にたいと思ったか、何度家の中のものを投げつけたかわかりません。
何度暴言を吐いたかしれません。今考えれば申し訳ないの言葉だけでは、全然足りませんね。でも母はしっかりと受け止めてくれました。苦しんでいた私を支えてくれました。本当に毎日毎日面倒を見てくれましたね」
「お母様はあなたのことを愛してくれていた」と私がいうと涙が一気あふれてこられました。「はい・・・くも膜下でその日の内に亡くなりました。当然何も話せなかったですね。こんな大事な時に目が見えない悲しさというか、母親の顔が見れないのはつらかったです。とくに私の場合は、病気になるまでは目が見えていただけに、とくにそうですね。」「夢には出てこられましたか」「一度もないです。もちろん普通の夢は見ますけど。なぜでしょうかね。現れてくれれば夢の中でも感謝と謝りたいです」

あなたの苦しみに比べたら、どうてことなかった

そしてソウルタイムが始まりました。お姉様も一緒に受けることを希望。
5分後、お母様が向こうの方から歩いてやってきています、と声をかけるとそれだけで大粒の涙があふれてきます。「お母さんです。間違いないです。見えてます見えてます」「目の前にやって来られます。色々お話をなさってください」1~2分経過してHHさんは「前にいるのですが、何も話してくれません。ただじっとしてニコニコと笑っているだけです」「じゃー、お母さんの身体の中に入ってみましょう。入るとお母さんの心がわかりますよ。」「入りました」「はい、そこでしっかりと心と心でお話ししてください」
10分前後のソウルタイムが終ってお話ししました。HHさんは、目が悪くなる前の母の姿で、とても元気そうで、微笑んでいたとのこと。「結局お話はできましたか」の問いに「先生が言われたようにお母さんの心の中に入りました。入ると母の返事か沸いて来るというか、聞こえはしないけれど何と感じるんですね。不思議でした。そして色々質問しましたら、びんびんかえってくるものがありました。

今の彼女と結婚するよ。

「たとえばお話しされてどのようなものが返ってきましたか」「母に、ボクが生まれたばかりに本当に迷惑と苦労と苦しまさせてごめんねと謝りました。母は、何ともなかったって。あなたが一番くるしかったんだからって。○○ちゃんの苦しみに比べたら比較にならないくらいどうてことなかったよって。そして今おつき合いしている彼女と結婚するよともそんな言葉もいただいたような感じです。いや〜不思議でした。どこに行っても霊能者さんによる口伝でしたから、今回のように自分の心の中で見ることができるというのがすごいです。それにハグの感覚もしっかりありましたから。いや〜良かったです。心もすっきりしました」。
また会うことができました。お役目を果たす事ができました。でもお姉様は残念ながら会えなかったです。でも当人が会えて良かった。

★IIさんの場合/無縁仏に入れられた父に会いたいmuen1

中学生のときに蒸発。そして5年前に警察から連絡が・・・

50才前後の男性がやってこられました。お電話で予約をされての来室で、すでに電話で、会いたい人は誰とか、会いたい理由をお聞きしていました。会いたいと希望されるお父様は約30数年前に失踪されたとか。始める前に少しお話をしました。「当時は失踪とは言わずに蒸発と言ってました。蒸発というのが流行語にもなっていたように思います。
失踪の理由はわかりませんでした。というよりわからずじまいでしたね」「探されましたか」「考えられる所すべて探しましたね。母はもちろんですが、祖父母も健在でしたから、それこそあちこち探しましたね。母は思い当たることがあるのか自殺かも知れないと警察に相談し、行方不明の捜査願いも出しました。当時、わたくしは中学生で妹、弟もいたので、育ち盛りの子供たちを抱えて、母は大変だったですね」

残されていた書類やDNA鑑定から一致

「その後、お父様は行方知れずのままでしたか」「そうですが、実は5年ほど前、警察から電話が入りましてね。あなたのご家族と思われる方のご遺体が見つかったというのです。びっくりしました。詳しく警察に話しを聞くと数ヶ月前に死体で見つかって、遺族がわからなかったため、すでに荼毘し無縁仏の方に入れたとの事でした。」「なぜわかったのですか?」「それが父が住んでいたアパートの大家から警察に、住人が帰って来ない、事件に巻き込まれたのでは、という連絡があり、指紋などを調べて、身元不明遺体と一致。アパートの残っている書類などから私どもがわかったのです。」「間違いなくお父様でしたか」「間違いなかったですね。母や私たち兄弟の写真もありましたし、念のため遺留品からDNA鑑定などしてわかりました。」
「ほっとされたでしょう」「良かったか、悪かったか、なんで今さらという思いでしたね」「なぜ失踪されたのでしょう?。全くわかりませんでしたか」「後で母から聞いたのですが、たぶん会社での人間関係ではないかと・・・そのあたりの理由も含めて、父に聞きたいですね」「お母様は?」「生きていますが、今は高齢で認知症も進んで、このことも言っても無理でしたね」

残していった妻には申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが・・・

そしてソウルタイムが始まりました。1回目はうまく行かず2回目でお父さんがやってきました。
「はっは~ん、来ましたね。父ですね。意外と若いです」「じゃー二人で話し合ってください」というと、目をつったまま首をかしげてばかりで、私が「どうですか」と問うと「いや~、もういいとか、忘れたとか、もう済んだこととかしか言いません。ダメですね」「じゃ~お母さんのことをどう思っているか聞いてみてください」しばらくすると両目から涙があふれてきています。「おふくろには申し訳ない、申し訳ない、苦労をかけて申し訳ないとそれだけです。そして子供を立派に育ててくれてありがとうって伝えてほしい。感謝しかないっと・・・勝手ですね」

もしオヤジがそのまま家にいたら一家心中していたのかも?

そしてソウルタイムが終りました。「ありがとうございます。何かとても不思議でした。本当に会っているのか、まぼろしなのか、想像の中から生まれた架空のシーンなのか」「でも会えた」「はい、顔ははっきりと見えました。でも失踪の理由はわからずじまいでしたけど、何となく感じたのは、もし失踪しなければ一家心中をしていたのでは!と何かそんなイメージが父の顔を見て感じましたね。失踪の理由はそれだったのかもしれません。きっとそうだと思います。不思議でしたけど、でも気持ちはスッキリしました」そして最後に「来て良かった」と言ってくださいました。
人生本当にいろいろです。この仕事をして、人間の数だけ、生きるドラマがあり、涙があり、苦しさがあり、笑顔があり・・・当たり前の話しですが、あらためてそれを感じました。

★JJさんの場合  けんか別れのままで・・亡くなった父に会いたいHU101_72A

40才前後の女性が、亡くなった父に会いたいとのことでやってこられました。よく話される方で、ある意味話していてとても楽しい方でした。

親子の縁を切って10年、その間に父が亡くなる。

「亡くなった父とは10年くらい前に大げんかをし、父からこの家を出て行けと言われ、また売り言葉に買い言葉で、こっちから親子の縁を切るといい、それっきりの状態が続いていました。私も一度言い出したらきかない性格なので」
「ひょっとしてお父様に似ている?」「あっ、そうですね。似ています」(笑い)
「お父様がなくなられたのはいつごろですか」「ちょうど3年になります」「その間全然連絡をしなかった」「父とはね。母や兄弟とはありましたが、父が亡くなっとき、兄から連絡をもらったのですが、迷いました・・・やはり大げんかをしたわだかまりがありましたね。やりあったことを思い出すと、腹立たしさが甦って結局行きませんでした。もし行っていたらこちらに来なかったと思います。今思えば、やはり親娘だから、最後の別れは行っておくべきだったとチョ〜後悔しています」

口やかましい父に反発して、結婚、離婚、そして父と同居へ。

「なぜお会いしたいと?」「謝りたいですね。申し訳ないと・・・さんざん迷惑をかけ、かつ離婚して実家に戻ってお世話になっていたのに。しかも娘も一緒にでしたから」「なぜ家を出られたのですか?」「そうですね。父は職人ですので、昔かたぎで頑固で融通が利かない性格でした。きちっとした性格で、時間も服装も後片付けもお掃除も、結構口やかましかったです。ですから家に戻ってもその性格は変わらなかったのですけれど、さらに私には離婚したことや、私たち親子の面倒をみていること、きついことを色々言われて・・・」「ガマンできなくなった」
「はい。もともと父のそういう性格がイヤで、高校を卒業すると即当時つき合っていた大学生の彼と結婚しました。解放されたとか、自由になったとか思いましたね。もちろん両方の家族も大反対でしたが、ちいさなアパートを借りて暮らしはじめました。それは楽しかったですけれど・・彼が大学を卒業して4年ぐらいたってから彼の実家に帰ることになりました。日本海の○○県で農家をやっていたので、農業を継ぐことに。農作業は本当に大変で、今まで働いたこともなかったので・・・」
「そして離婚された?」「離婚の一番の原因は彼の浮気でした。幼なじみだとか。許せなかったですね。それに姑までがその女性の肩を持つなどして、いたたまれなくなりました」「農業の仕事は大丈夫でしたか?」「今になってよく考えればそれも離婚のひとつかも知れませんね。今まで誰にもそんなこといわなかったけど、農業って本当に大変で、正直限界に来ていたかも知れませんね」(笑い)
「そして娘さんを連れられてお父様の家に帰った?」「はい」

シャイな父がハグしてくれたことに、感動と涙が!

そしてソウルタイムが始まりました。JJさんは霊意識の高い体質なのか、すぐにお父様がやってきました。「あはは、やってきました。笑っています」「それでは色々話し合ってください」そして5分くらい経ちました。「父が帰ると言っています」「じゃーハグして別れましょう」「あっハグしてます。父がハグしてくれてます。こんなことにシャイな父が・・・」(号泣)そしてお父様は帰られました。
いかがでしたかと問うと「ホームページで拝見したのと同じです。父の声も久しぶりに聞きました」「何ていわれてましたか」「ケンカしたことや葬式に行かなかったことを謝りました。そうしたら、もういい、もういいって。そしてオレの方こそ、恩着せがましく、口やかましく言ってすまなかったと。今日はお邪魔して、良かったです。」
「ホームページに書いてもいいですか」「名前出さなければいいです。」「ありがとうございす」
親子の間でも色々なドラマがあります。でも血縁関係は特別なものです。行きている時に、行き違いはあっても最後には許し合えるものと思います。とくに天国に行かれた人は、心が広くなっています。

★KKさんの場合  亡くなった両親がちゃんと天国で会えているか知りたい

40才前後の男性が亡くなった両親についてちゃんと会えているかやってこられました。

父は25年ほど前に病気で死に、母は1ヶ月半前に心筋梗塞で死にました。

「父が亡くなったのは私が中学3年の時で、くも膜下出血で亡くなりました。朝、元気だったのに急にです。今でも覚えています。授業中に先生がやってきてお前すぐに家に帰れって、お父さんが病気で倒れたそうだと言われて・・・あわてて帰りました。帰った時はもう何か家の中が、近所の人や親戚の人が来ていて、えっ何、オヤジヤバいのか!と思いました。しばらくして父が病院から返されてきました。その時はもう死んでいましたね。全然信じられませんでした。母は結構気丈にふるまっていましたけど。その時、人間って簡単に死ぬんやなって思いました。母の方は、最近ですが1ヶ月半前に心筋梗塞で、同じようにあっけなく亡くなったのですが、母は男性と暮らしていて、その男性の方から連絡をいただきました」

子供を育て上げた後、母は別の男性と暮らし始める。

「なぜお会いしたいと?」「父と母は、仲が良かったのですが、今から10数年前に親しい男性が出来て、内縁関係で暮らし始めました。私たち兄弟3人なんですが、みんな成人になっていたので、男性と新しい暮らしを始めたこともそれなりに理解していました。」
「夫婦仲が良かったのに、なぜとか思わなかったですか?」
「全然ないと言えばウソになりますが、まぁ、ずーっと育ち盛りの子を育ててきて、やっとみんな成人にまで育て上げたので、やはり女として自分の生き方を考えたのではないかと思って、私たち兄弟は納得していました」
「でも結婚となるとお墓の問題とか・・・」「いえいえ結婚はしなかったです。同棲というか、年齢的には内縁の妻といったほうがぴったりかも。だから戸籍上も私たちは親子関係にありました」

だから今、父と母がどうなっているのか、ちゃんと会えているのか心配です。

そしてソウルタイムが始まりました。父の姿はハッキリ見えないけれど、人の形をした黒い影の立体的なものがすぐ近くに立っているとのこと。「お父さんかも知れませんので、呼びかけてください」「父です。間違いありません」「お母さんはいますか」「いやいないです」「お父さんに聞いてみてください」聞くとお父様も知らないとのこと。そして妻が亡くなったことをしっかり受け止めていたようです。
色々話された後、お父様は消えてしまいました。
「母のことは何も語りませんでした。でも私たち兄弟が立派に育ったことを喜んでくれました」

母は霊として、父の仏壇前に座っていた。

最後にお母さんがどこにいるか霊サーチをかけてみました。「お母さんがどこにいるか頭の中に出てきますよ」と言うと「あっ、います。父の仏壇の前に座っています。父の写真を眺めています」
「やはりお父さんは大切な人だったのですね」「いやー、びっくりです。わが家にいました。実は遺骨も位牌も、男性の家にあるんです。だから母のことも気になっていたので、こちらにお伺いしたわけで、納得しました。先方に訳を言って返してもらうようにします」
「49日前なので、早めにお坊さんにお経を上げてもらって、天国へ行かせてあげてください」とお願いしました。

「母が亡くなってから、気にかかっていて、ずーっとどうしたら良いのか、わからなかったのですが今日ようやく結論をいただいた気がします。ありがとうございました」
気分もすっきりしてお帰りになられました。

★LLさんの場合 亡くなった本当の死因を知りたい

60才前後の女性が、難病で亡くなった娘に会いたいとやって来られました。

浴槽で眠るように死んでいた娘に会いたい。

「今から15年前に亡くなった娘に会いたいのです。娘は中学生の時に難病になり、高校の途中からは病院生活になり、そして娘の希望で自宅療養に切り替え、それからは死ぬまで家で過ごしました。明るくて勉強も出来て、私たち夫婦の自慢の娘でもありました・・・。残念で残念で、亡くなってからは娘には会いたい会いたい一心で、その思いが年ごとに強くなってきました。偶然、先生のホームページを見て、ここだと思って寄せていただくことに決めました」
「娘さんがなくなられたのはいつごろですか」「23才の時です。その時のことは衝撃的で、今でもしっかり頭の中に焼き付いています。夕方近く、家に帰ってみるといつもいるはずのベッドに居なくて、探して見ると、湯舟に浸かって、顔を湯につけて死んでいたのです。その時はまさか死んでいるとは思いもしなかったですね。救急車を呼んだ時にはもうダメでした」
「死因はなんでしたか」「死因は溺死だったらしいのですけど、それが正直言ってわからなかったのです。心臓の影響からなのか、足をすべらしたはずみで起き上がれなかったのか、ひょっとして自殺なのか・・・」「警察へは・・・」「もちろんやってきましたけれど、家に泥棒の入った形跡や本人にも暴行跡が見られないことから、事件性はないと判断され、何が引き金になったか解剖して調べますかと言われたのですが、親としては子供の身体にメスを入れてとても解剖などとはと思い、お断りしました。きれいなままの身体でと天国へ行かせてやりたいと」
「それでは溺死ではあったかもしれないけれど、何が本当なのかを知りたい気持ちが高まってきたのですね?」
「最近、とみに何だったんだろう、なんで死んだんだろうと思うようになって、ひょっとして自殺だったのでは、という気持ちも強くなって、それを知りたくて、先生のホームページにたどり着いたわけです」

今は真相を知りたくなってきました。ずーっと心にひっかかっていましたから。

ソウルタイムを開始しました。そうすると私の言葉に身体をぴくぴくというか、ヒクヒクされるのです。「緊張されているのですか」と問うとそうではなく「先生の言葉に身体が自然と反応している感じで、緊張とか、あがっている感じはありません。真っ白な素直な心で聞こうと決意したとたんに、ちょっとした言葉に反応しているような感じです」ひょっとして霊体質系の人なのかもしけません。

自殺ではなく、ウトウトとしてお湯が肺にはいった瞬間に、パニックに陥り・・・

そして「娘さんの星に意識を飛ばしましょう」というと即座に白いきれいな大地がお母様の中にあらわれました。「娘がこちらにやってきています。あはっ、笑っています。とっても元気そうです。目の前にやっきました」「じゃーハグしてあげてください」「はい、あっこの身体はなつかしい娘の身体です」もう、涙が止まりません。
しばらくして落ち着くと「それでは、お母様が長年知りたかったことを聞いてみられてはいかがですか」
そしてお話が終りました。「やっとわかりました。部屋がなんとなく寒くて風呂に入り、気持ちよくて眠気がきたそうです。ウトウトとしていたら、急にお風呂の水が肺の方に来て、むせにむせて立ち上がれず、手足が不自由なため、あわてればあわてるほど足が滑り、浴槽にもつかまれず、そのうち、すーっと気持ちが良くなりそのまま天国へ行ったとのことです。良かったです。天国へ行ってて、それに死んだ理由もわかって、良かったです。やっと胸のつかえがおりました」と語られ、帰られました。

あぁ〜会えて良かった。話せて良かった。真相がわかって良かった。会える確率が徐々に下がって来ている今、それが私の素直な感想でした。

★MMさんの場合。自殺した息子に会いたい。(会えなかったけれど不思議な現象が・・)

40歳くらいの女性がやってこられ「2ヶ月ほど前に自殺した息子に会いたいのです。自死ですから会える確率が低いのはわかっていますが、どうしても会いたいのです」

顔も可愛くて、性格も陽気で、誰からも好かれていた息子に会いたい。

写真を拝見させていただきました。見た瞬間「えっ、なぜ? こんな可愛くてかっこいい子が」というのが第一印象でした。というのも写真からは何らマイナスの因子や霊障的なものを感じなかったのです。
「とにかく明るい子で、家族や兄弟とも仲が良く、もちろん友達も多くて、先生からも◯◯君がいるおかげでクラスの雰囲気も明るいです。と言われるくらい本当に人気者でした。だから自殺したと知ったクラスのみんなは本当に信じられないくらい衝撃的だったそうです。ただ冗談が過ぎて、注目を集めたいためかやり過ぎるきらいがありましたね。それがひょっとして、冗談で死ぬまねごとをして死んだのではと思っています」
お母さんのお話を聞いている間、私の身体に何かしらの「何か!」を感じましたが、まだお母様にはお話ししませんでした。

お父さんにゲームの課金のことで怒られる。

そこでお母様に「なにが自殺する大きな要因はあったのですか?学校とかに?」「学校が問題ではなく実は家で問題が起こりました」とお母様。くわしくお聞きすると「息子が自殺する直前に主人に、大変怒られました。ゲームの課金のことで・・子どもにしたら結構な金額になっていましたので、私から主人にしかってもらいました。主人もその金額に驚き、ゲームを取り上げる等ときつく怒っていましたし、息子もしょんぼりして、もうしないなどと言って涙を流しながらあやまっていました。怒られた後、家にいづらかったのか、ぽいっと出て行きました。なかなか帰ってこないので心配して家族みんなで探し始めました。でもその時は帰ってくると信じていました。そしたら次男が◯◯が裏庭で死んでいると言うのです。あわてて駆けつけると椅子にロープをくくりつけて、土の上に座るようにぐったりと首を下げている姿が・・・」すぐに救急車を呼んだがその場で死んでいることが確認されたとのこと。「いつも冗談ばかりなことを言ったり、人がびっくりするようなことをしたり・・・そんな子だったので、死ぬつもりではなく、本人は怒られた腹いせに、ちょっぴりみんなをびっくりさせようとしてあのような行動を取ったのではと思っています。警察の方も本当に死ぬ気なら高いところにロープを通して、台の上に乗り、台を倒して足が届かないようにケースが多いですが、少ないケースではありますねと言われました。

不思議な現象が体験ルームに起こる。

協会に来所された目的は、今どうしているのか、本当に死ぬ気だったのか、死ぬマネをしてみんなをびっくりさせたかったのか、を息子に確かめたくてのことです。そしてお母様のお話を聞いている時、私の右腕のシャツの袖を誰かが引っ張っている感じがときどきするのです。
またお母様には再度自死された方は成仏するにはやはり時間がかかり、会える確率は少ない旨をお伝えしましたが、やはりやるだけやってみたいとのことででした。
お母様のお話が一段落し、希望されるコンタクトを取り始めようとすると、当センターのドアにズズズーッという音がしました。とても気になったのでドアを開けて確認すると、当センターのドアに着けてある看板プレートが何と30センチほど下へずれていたのです。
「あっ、やっぱり」と確信しました。彼はここに来ていると!
そしてお母様に「家で息子さんがいるという気配とか、感じるものはありますか?」と問うと「はい、本当に色々とあります」とその事例を上げられました。「今、ここに来ています」というと、お母様は「やはり・・でもコンタクトをお願いできますか?」と希望されるので開始してみました。そして5分ほど経過した時またドアにズズズズズーッと音がしました。何と看板プレートが一番下まで下がっていたのです。
結果的にコンタクトは成功しませんでしたが、このような現象からまで成仏はされずに、お母さんのまわりにいると確信できました。
お母様には、毎日しっかりお線香をあげてくださいと申し上げるとともに、当協会もご縁のあった霊として毎朝のお勤め時に、加えさせていただくことを伝えました。

★NNさんの場合。認知症で亡くなった母に謝りたい。(霊として居た場所は・・・)

70歳前後の恰幅の良い男性が来られました。「認知症で、老衰で亡くなった母に会いたいと思い、やってきました。正直スピリチュアル協会さんがいかなるものか全く知識がありませんが、友人の奥さんからこんなのがありますよ、とスピリチュアル協会さんを知りました。もともと亡くなった人に会えると言うこと自体、申し訳ないですが。信じる方ではないので、でも他のホームポージも色々みて、結局お願いしようと思いました。今も霊感商法とか霊感ビジネス的なイメージがあって、良いイメージがしないのですが・・・、そんな気持ちでここにやって来ても会えますか?」とのことで私は「あまり否定的な感情をコンタクト中に強く出すと会えることは難しいと思います。ここはしっかりと“会いたい”という気持ちを信念のように持っていただければと思います」とお応えしました。

お金のことや家のことでいっぱい迷惑をかけて・・母を安心させることなく逝ってしまいました。

「いつ亡くなられたのですか?」「今から1ヶ月ほど前です」「色々お母様には迷惑をかけたとか・・?」「はい、25歳の頃からイベント会社を立ち上げました。音楽関係を中心にした企画でそれは忙しかったし、それなりの儲けもありました。最初の大きなつまづきは古い話しになりますがバブルの崩壊ですね。一気に業績が悪化しました。母からもけっこう融通してもらいましたが、それでも足りなくで、結局実家を抵当にいれ借りました。バブル崩壊後といってもそれなりのお金を借りることができました」「どれくらいですか」「最終的には都合2億円くらい借りることができました」「大きな家だったんですね」「敷地だけで200坪以上ありましたから」「最初から2億円ですか?」「いえ、最初は1000万円でした。借りる時に母と弟2人 と計4人で話しあって1000万以上は借りないと約束していたのですが・・・母をうまくごまかしながら印鑑を預かり、それからずるずると1年ほどで2億を借りました。返せる見込みはありましたので、当初は順調に返せていましたが、途中から苦しくなって来て、あのリーマンショックで、つまづきましたね。最終的には1億3千万ほど残っていました。そこで抵当権に入っていた家を処分しなければならなくなって、母と兄弟に話すと、母が本当に激怒しましたね。家を手放すことに大反対でした。母はその家が大好きで生きがいでもありましたから。そこで兄弟達の援助を得て、かろうじて抵当権をはずすことが出来たのですが、兄弟たちにはあらたに銀行から金を借りる等、本当に迷惑をかけました」それ以降の話しを長々とされました。
最終的には弟たちに背負わせた借金を、家を処分することで、弟たちが借りた借金は帳消しにし、きれいに清算できたとのこと。

家を処分したことは母はもう認知症も進んでいましたからりかいできなかったと思いますむ。

「母は認知症が進み始めた6年ほど前から施設に預けました。預けた当初は大変でしたが、しだいに落ち着いてきました。施設に行くたびに『家へ帰る』と言ってましたが、ここ1年ほどはアルツハイマーの影響で身体が動かなくなり、寝たきりの状態に。ですから借金のことも家のこともまったくわからなかったし、私たちの顔を見ても分かっていたかどうか、まさにそんな感じでした。私たち兄弟もおふくろが家のことがわからなくてある意味良かったと思いました。認知症が進み出してから、本当におだやかになりました。それだけでも救いだったと思います。そんな母に謝りたいのです。お願いします」

お母様は現れませんでしたが、意外なところにいました。

そしてソウルコンタクトをしましたが、結局お母様の魂はやってきませんでした。そこで霊サーチをかけてみることに。すると急に「母がいます。公園のところにいます」と話しだします。「公園とは?」「家の前にある公園で、ちょうど一番高いところに立っています」「近づいて下さい」というと「はい、あっ何か言っています。」「何を言っているかわかりますか」と問うと、涙をいっぱい浮かべ「お母さんごめんな、本当にごめんな」と振り絞る声で言われています。「お母様は何と言っていたのですか」「家がない、家がない」と「どういうことですか」「家を処分してから、その土地を買った不動産会社が建て売り住宅を5軒ほど建てたのです。その家を見て言っているのではないかと思います。本当に情けない気持ちで、申し訳ない気持ちで・・・死んでからも迷惑をかけて・・・家への思いや執着心が強かったですから、なかなか離れず、成仏もできていない・・・息子として最低です」
「でもどこにおられるか、わかって良かったですね。認知症で亡くなられたお母様の場合、執着心の強かった家のことに悩まされずにいたことは、反面心がおだやかで過ごされて良かったのでは」「そうですね。もし認知症にならずに頭がしっかりしていれば、正直大変だったと思います。母はもちろん私たち兄弟にとっても・・・ある意味、認知症で救われたと思います。」
「認知症で亡くなられた方は、天国に行かれていますので、もうすぐ成仏されます。でも今日立っておられた場所がわかったのですから、ぜひそこに行ってお線香を立てて下さい。そうすると早く天国に行かれると思います」「はい、そうします。先生のお言葉で救われました。本当にありがとうございました」と行ってお帰りになりました。
子どもが親の財産を使ってしまってゼロになったケースは、世間ではよくあります。親にすれば結局“こどもだから・・・”と受け入れることが多いですね。このお母様も結局受け入れて天国に行かれます。来所された息子さんにそのことをお伝えすると「ありがとうごさいます。今日、ここに来て今、母がどこにいるかわかりましたし本当に良かったです。明日にでも母が立っている場所に線香を上げにいきます。今度は、成仏した母に会いに来ます」と帰られました。

★OOさんの場合。事故死した婚約者に会いたい。女性の部屋

30代半ばの女性が来所されました。地方都市の百貨店に勤めているとのこと。「3ヶ月ほど前に事故でなくなった婚約者に会いたい」とのことでした。お話をお聞きするとある競技レースでは知る人ぞ知るという有名な選手だったそうです。その彼が海外で行なわれたレースに出場し、そのレース途中で事故に会い、死亡したとのことで、地方新聞にも小さな扱いであったが掲載されていたそうです。

「裏切られていたのかもしれない」その思いが当センター来所の目的。

その人に会いたいのですねと問うと、はいと答えられたのですが、彼女はおもむろに新聞記事を出し「じつはこの新聞記事なのですが、ここに写真が載っていますね。そこにこんな記事が書かれていたのです」拝見すると現地でのお葬式の写真でした。彼のご両親とともに奥様と紹介されていた女性も現地での写真に写っていたのです。もちろんその女性の写真は来所されている女性とは全然違いました。
その記事を見ながら彼女は「この新聞記事を見た時、えっどういうこと、なぜ、奥さんが、と最初は理解できませんでした」と話されます。そこで私は失礼とは承知の上で、ひょっとして彼は妻帯者であることを隠してあなたとつき合っていたのでは、と問うと「いえ、彼は誠実な人で、約束は本当に守る人だったので・・・二人だけで結婚しようと約束しただけですが、近いうちに両親のところに挨拶には行く話しをしていたのです。でも彼に本当に奥様がいたなんて・・・ひよっとして間違い記事ではないかと」と号泣されました。
しかし話しをよくよく聞いていくと、彼の家の住所も知らなかったし(教えてくれなかった)固定電話も知らなかったとのことでしたから、彼に対する疑念も生じてくるものがありました。
しかし彼女は「どういうことか彼に会って聞きたいのです。母に相談すると、男の人ってそういうところがあるから・・・それにもう死んだのだから、心を切り替えて新しい出会いを探しなさいと言うけれど、でも、はいそうですか。とはなかなか簡単に心の整理がつきません。それで彼に聞きたくてお願いしにやってきました」。

気づけば何も彼のことは知らなかった・・

そしてソウルコンタクトを開始しました。私としてはもし彼が彼女にうそをついていればやってこないと感じていましたし、彼女にもその旨を伝えましたが、彼女はそれでもいいからお願いしますとのことでした。
都合3回チャレンジしましたが、結局彼は現れませんでした。霊サーチにもかかりませんでした。彼女曰く「死に顔も見なかったし、葬式にも行かれなかったし、お仏壇にもお参りしていないし、死んだのも新聞で知っただけで・・・奥様もいたなんて・・・ここに来て現れてこないから、本当に彼が死んだのかどうかもわからなくなってきました」と、静かに帰っていかれました。
愛していた人が亡くなって、確かに死に顔も拝めない、葬式にも行けない、お参りもできないなどなど・・・彼女からの一方的なお話でしたが、男と女の出会いや恋愛、成さぬ仲にはこのようなケースがあるのだとあらためて感じました。

★★PPさんの場合。孤独死した元内縁の妻に会いたい

70歳前後の男性がやってこられました。スピリチュアルイベントとしては人気のある「癒しスタジアム」の当協会のワークショップに参加されていた男性でした。その時ワークショップに参加の方には、後日特別に個人対象にコンタクトをしますと告知したのですが、なんとその日イベントが終わると同時に当方に来所されたのです。
疲れていて、迷ったのですが高齢ということもありお引き受けしました。

10年近く同棲。彼女の稼ぎをあてに・・・

会いたい人は20年前子宮がんで亡くなった内縁の女性です。「なぜお会いしたいのですか」と問うと「いやー、ずーっと迷惑をかけ通しだったんです。二人とも4o才過ぎてから同棲したのですが、私はフリーのデザイナーで彼女もフリーのイラストレーターでライターも兼ねて仕事をしていて、才能もありました。正直私自身にはほとんど仕事が来なくて、彼女に食わしてもらっていましたし、いっしょに住んだのも彼女の稼ぎをあてにしたのが理由です。仲が良かったのは最初の3ヶ月くらいで、それからは金を入れろとか、出て行けとか、さんざん悪態をつかれましたが、まあ、私自身本当に行くところがなくて、家を出るとなると後はホームレスしかなかったですね。文句を言われながらも結局約10年近く居続けました。」話していて何か憎めないかわいらしいところのある男性でした。彼女もそんなところが好きだったのかも。
「怒っていたのに10年もよく居られましたね」「じつは彼女は動物好きで猫が10匹いました。それに文章が上手くてライターの仕事でしょっちゅう取材で出張もしていたので、世話する人間が必要だったので、タイミング的に良かったのです。ハッハッハ」

私の行いが原因で、亡くなる1年前に別れることに。

「そしてがんが見つかったのですか?」「そうです。本人はショックだったと思いますが。気の強い人間でもあったので弱音は吐かなかったですね」「亡くなるまでいっしょだったのですか?」「いいえ、亡くなる1年ほど前に追い出されました。実は入院している間に、彼女の貯金通帳を見つけ、お金を結構引き出していたのがバレて、凄い剣幕で私は泥棒猫を飼っていたと言われ、警察ざたになるなど、家を出ざるをえませんでした」と何か自虐的な話しをたんたんと話されているのには驚きました。
「その彼女に会いたいと・・・」「はい。このごろよく彼女の夢を見るのです。ケンカもいっぱいしたけど、けっこうウマも合って楽しかったですよ。お互い口は悪かったですが、今でも分かり合えてはいたとは思っています。なぜ彼女が夢に出てくるのか、それを聞きたいです」

孤独死していた彼女、死後2週間して発見

「亡くなったのはどうして知ったのですか」「共通の友人がたくさんいて彼らから孤独死していたと知らされました」「孤独死ですか」「昔風の平屋の長屋に住んでいたのです。話しを聞くとご近所から変なニオイがしてくる、猫が異常に騒いでいるという話しが出て、大家さんと警察官が入ると、彼女の身体はぱんぱんにゴム風船のように膨れていたそうです。近くに彼女の兄夫婦が住んでいたのですぐに大家さんから連絡があったそうです。警察の調べで事件性はなく、新聞のたまり具合や郵便受けから推察すると、病院の検査を受けて帰って来た日ぐらいに死んだのでは・・・そう判断されたそうで、つまり死後2週間くらい経っていたそうです。友人たちも死んだのを知ったのは2・3ヶ月後でした」

彼女がにこやかに現れるも話しをせず・・

ソウルコンタクトを開始しました。10分くらいして「はい彼女がやってきました。笑っています。良かった」「声をかけてあげてください」「はい・・・・」すこし涙をこらえているようです。「いやー何も話してくれません。そして出会った頃の顔ですね。つきあっていた当時よくファミレスに行っていたころの顔立ちです・・・・ハグもしてくれません」「謝ることもいっぱいあるのではありませんか?」と声を掛けると急に「謝ることなんてありませんよ」ときつい口調の彼。えっ??。そしてすぐ「あっ彼女が去っていきます・・戻って来てと声をかけても去っていきます」そして帰って行かれました。
せめて夢に出てくる理由を聞きたかったが、でも会えて良かったと彼の弁。今は生活保護を受けながら小さなアパートでひとりで住んでいるとのこと。彼女と暮らしていたときは本当に楽しかったし、幸せでした。若いときからけっこう遊んだいて結婚も2度し、お子様も3人いたとのことですが、昔の家族とはもう40年も会わず、居場所もわからないとのこと。
「このままいけば、わたしは孤独死ですよ。もし死んでも成仏できずに霊としてさまよっている気がします。たぶん・・・でも彼女が成仏していたので、それだけでもここへ来たかいがありました」と、お帰りになるときは、なぜかお背中が小さく見えました。彼女と話せなかったことと、アパートに帰ってもさみしい思いが心にあふれてきたのかもと察しできました。

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★★RRさんの場合、母だけに見える戦国時代の侍に会いたい

アルツハイマーの母だけが見える侍

「母の不思議な体験から、母の元にやってきた侍に会いたいのですが・・・そして今、母は認知症でこの話しもひよっとしたらええかげんなものかもしれないので、取りあえずお話だけでも・・・」とやってこられたのは中年の女性です。お母様は88歳で今、介護施設で暮らしているとのこと。お話を聞くと今まで住んでいた家に、戦国時代のお侍さんの霊がいて母だけが見えていたとのことです。初めてその霊が見え出したのは、6年位前でその時はお母様は1人で自宅で暮らしていて、時々娘さんが実家に帰ると「こわいよ、あそこに侍の首が浮いている」と言うのです。「気持ち悪いこと言わないで」と娘さんが注意しても、月に1回か2回そんなことを言っていたそうです。
そのころから物忘れもひどくなり、ちょっとおかしいと思い病院へ行くとアルツハイマー型の認知症と診断されたので、娘さんはひよっとした認知症が原因で、何かを霊が見えたと勘違いしたのではないかと思ったそうです。
しかし時々、その家に連れて帰ると「あっまたいる」とか言って、母も当初の恐怖心はなくなり「どっかへ行け!」「もう来るな!」とかいうとすーっと消えていくそうです。
娘さんも結婚するまでは両親と兄弟3人でその家で暮らしていて、そんな経験は母も含め誰もなかったといいます。また母が見えると言い出した後も、娘さん自身その侍の霊は見たことがないと話されました。

歴史を調べると戦国時代の落城があった場所が近く

「その家は、今どうしているのですか」「今は誰も住んでいません。たまに私たち家族が整理しに帰るくらいです。母も車椅子ですし認知症も進んでいますので帰ることも住むことも無理です。大きな家ですが、侍の霊とか言われて、私たちも住む気がしません」「どうして、当協会に来られたのですか?」「実は母の話しから、色々家のまわりのことを調べてみると色々なことがわかってきて、母の話しもひよっとしてあるのではと思い、もし日本スピリチュアル協会さんでわかるようなことがあるかもしれないと思い、やってきました」「色々わかってきたこととは・・どのようなことですか?」「家から1キロくらいのところに丘陵があり今は大きな病院が建っているのですが、実は昔はお城のあったところで、豊臣秀吉に滅ぼされてしまったのです。そこでたくさんの侍やその家族も殺されたそうです。私自身の想像なのですが、その中のお侍さんの1人が霊となって母のところに現れたのだと思いますし・・・私自身もこれではないかと、何か心の中で確信めいたものもあるのです」
「それでどうしたいのですか」「正直言いますと今、父が亡くなり、母も認知症がひどくなり、家族もはっきりと認識できなくなってきたため、私たち兄弟の中で家の売却の話しがけっこう具体的に出てきているのです。ですから売る前にきちっとしておきたいのです。先生のところまで来るまでに2カ所の霊能さんのところに行きましたが、よくわかりませんでした」「お城の話しとかはされましたか?」「ええ、しましたけれど。金銭的な面で除霊とかお祓いとかにかなりの金額を提示されたので・・だから、先生のところにお伺いしたのです。今の家を気持ちよく処分するためにも、とにかくお侍さんから色々聞いた上で、解決していきたいし、もし成仏していなかったら、やはり成仏させてあげたいと思います」

若い侍が出現し、依頼者に頼み事を!

そして出てくるかどうかは、私自身、自信がないとかあるとかいうよりも、わかりませんでしたが・・・「あっお侍さんがやってきました。でも母が言っていたお侍さんとは違います。若いし、身なりもきちっとしています。母が言っていたのは中年で頭から血が出て、目がぎょろっとしていたそうで、なんかイメージが違います」「霊は結構、若い時の姿で出てくるので、もし話せたら聞いてみてください」・・・「何も話さないです」「ぐっと身近に寄って下さい。何か感じれるかもしれません。真剣に感じてみてください」・・・「やはり戦で死んで、首も取られたそうです。それで城の西側の近くに我家の菩提寺があり、そこの寺に戦で死んだ者たちの供養をしてほしいと・・・」とお侍さんの心を汲み取ることができたとのこと。「そういえば、うっそうとしたお寺がありました。何かお寺のイメージが一致します。」「さっそく行ってみて供養をお願いしてみたいと思います」とのことでした。3分間程度の短いコンタクトタイムでしたが、その後のどうされたのかご連絡はありません。

★★TTさんの場合/会社の前に立つ父の厳しい顔が・・

父が一代で築いた会社を兄が引き継ぐ

30代半ばのご夫婦が来所されました。
依頼者は奥様の方で、会いた理由は父に会って会社の今後をどうすれば良いかを聞きたいとのことでした。
お父様は一昨年、70歳になる前に癌で亡くなられたとのこと。
会社は現在、兄が社長で継いでいるが、社員200人以上をかかえ、銀行の融資やら返済やらで順調とは言いがたいという。

「父は結構ワンマンでしたが、対外的には営業力があり、一代でそれなりの会社を作り上げました。しかし父が亡くなると、幹部には昔からの社員もいて、兄の言葉を聞かず仕事がなかなかスムーズには進まなくなりましたね。ここ1年で業績が落ちて、私は経理を手伝っているのですが・・このままでは厳しいと感じています」「お兄様と会社のことで話されたことは?」「兄は頑張っていますが、会社のことで少しでも口出しすると、露骨に嫌な顔をしますね。私も育ち盛りの子が3人もいて、経理を手伝っていると言っても週に2日から3日のパートタイムのようは存在ですし、しかし月ごとの売上げなどを見ていくと分かるのですよね。後このままでは12年 のうちに会社がかなりまずくなるのではないかと・・それにやはり父がいた頃のような、社内のピンと張り詰めた緊張感や熱い雰囲気がないですしね。兄として は兄が子供の頃からいる社員は、結構やりづらいし、文句も言いづらいと思いますが、やはりここは経営者ですから会社のためにも信念を持って言わなきゃなら ないことは言うべきと・・・」

「お兄様は優しい方?」 「どうでしょうか、守りには強いと思いますが、積極的に攻めて行くタイプではないですね。それにあまり社員の悪口も言わないし、ただオヤジが死んだら皆ん なオレをみる目が違ってきたとかは、言ってましたけど。私の主人も少しは相談に乗って、上の者が言うべき時に言わないと、とは忠告してはいるのです が・・・」

このままではダメと思い父にアドバイスしてほしい

「お父様と会って何を伝えたいですか」「まず会社のことと、兄へのアドバイスを聞きたいですね」そしてコンタクトタイムへ。しかしやってきませんでした。ひょっとして霊として地上にとどまっているのではないかと思い、霊サーチを提案しました。

霊サーチをかけてすぐ「あっ、父が立っています」「どこに立っていますか」「広い駐車場の真ん中に。。。こわい顔をしてビルを見ています。とても厳しい顔で・・お父さん、申し訳ありません、本当に本当に申し訳ありません」(号泣)「お父様に話しかけてみてください。ひょっとして応えてくれるかもしれません」・・・「ダ メです。じーっと腕を組んで立っているだけです。私の方に顔も向けてくれません。本当にこわい顔をしています。」「何でもいいので声をかけてください。あ なたの思いつくまま声をかけてください」時間を少しかけましたが結局は何も語られることなくコンタクトタイムは終わりました。
「父はやはり会社のことが心配なのがよ〜くわかりました。兄には今日のことを話します」

そして3ヶ月後お兄様と一緒に来所されました。機会があればその続きをご紹介したいと思っています。

★★ABさんの場合/生まれてすぐに亡くなった孫に会いたい

アメリカ人との間に生まれた孫に

その女性は私の友人の紹介で来られました。会社を経営され、お店も何店か持たれているとお聞きしていただけに、とてもバイタリティで、全身からオーラーが出ていました。私の目をしっかり見つめられ、はっきりと話され、お話をお聞きしてもパワフルで圧倒される感じでした。

「私は前世も来世も信じているのです。霊魂の存在を信じています。肉体は死んでも魂は永遠に生き続けると・・・だから生まれてから数ヶ月で亡くなった孫に会いたいのです」よくお聞きすると娘さんがアメリカ人と結婚し、その後ご主人の関係でフランスへ。フランスでお孫さんを出産しましたが、心臓に欠陥があり、あまり長く生きられないと医師から告げられる。「一人娘でしかも初孫で・・・本当に目もクリっとして可愛い孫でした。娘から話を聞いた時は、本当に信じられませんでした。でもよく笑ったりして・・本当に病気?と思うくらい見た目は元気でしたが・・やはり亡くなりました。その孫に会いたいのです」

と話されていましたが、何と急な仕事が入り、今夜、アメリカへ行かなければならないとか。ポンポンとテンポよく話されているのは、どこかに焦りがあったのではと思い、その旨を告げると「確かに今の私の頭の中は、仕事が半分、孫が半分ですかね。でもやっぱり孫に会いたい、抱きしめたいです」

「私の胸の上に孫がやってきた」と

とにかくコンタクトを開始しましたが、時間がないため、当方もどこから焦りのようなものもあり、残念ながら会えませんでした。お別れの際「先生に会えて良かった。先生を信じます」と言っていただけました。数日後、その方からメールが来ました。「アメリカのホテルで寝ているときに孫が私の胸の上にやってきました。時間は30秒くらいです。しつかり抱きしめることが出来ました。夢か幻覚かとも思いましたが、確かに抱きしめた感覚が今もはっきりと残っています」との内容でした。正直、生まれて数ヶ月の赤ん坊は経験がないため、今ひとつ自信がありませんでしたが・・・・とりあえずは、良かったと思いました。

★★ZZさんの場合/4歳で亡くなった孫に会いたい!

孫のいる星へ一気に

約5年ほどの前、70歳ぐらいのご夫婦が来所されました。わざわざ飛行機で体験会に来所されました。
お電話で問合せをいただいたとき、わざわざ高い交通費をかけてまで来られても100%逢えると保証できませんのでと、お断りしましたが「逢えなくてもよいから、とりあえずチャレンジさせてください」とのことで、お引き受けしました。

逢いたい方は長女の娘で、生まれつき心臓に問題があり、4歳で亡くなられたとのこと。「なぜお逢いしたいのですか」「やはり初孫で、とっても可愛くて、生まれたときは本当にうれしかったです。心臓に疾患があると聞いたときは、ショックでしたが、医療も進んでいるし何とかなるのではと思っていましたが・・・手術も何回かやりましたが、叶いませんでした・・・今、どうしているか、それを知りたいです。さらに最近、孫の何かを感じるのです。もちろん具体的にはわかりませんが、でも心に孫から送られてくる何かを感じるのです。孫がいる世界から信号のような・・・・だから逢いたいです。

そしてソウルタイムを開始しました。そうすると、おばあさんは「こっちよ、こっちよと呼んでいるような声が聞こえます」と話されます。「こっちよ、とはどういうような感じですか?」と問うと、「何か、こっちに来て、という意味だと思います」

きれいな星ではなく、ごつごつした岩だらけの星に、孫が・・・

「わかりました。今お孫さんがいる星に来てほしい、ということですね」というと大きくうなづかれました。
そこで、おばあさまの意識をすーっと宇宙に飛ばして、お孫さんの感じる方向に進んでくださいとアドバイスしました。しばらくして「あっ、たぶんあの星だと思います。近づいて行きます。孫を感じるところに降りて行きます・・・・・はい星に降りました・・・・ごつごつした岩だらけの星です。全然イメージが違いました。もっときれいな星かと思っていたのに、こんな星にいるとは・・・」「たぶんお孫さんと星の波動が同じなのです。波動が同じだと安らかに眠り過ごすことが出来ますから。お孫さんは見えますか?」「いえ、見えないですね」「少し探しましょう」そうすると「あっ、黄色い光の球が、ぽんぽんと跳ねるように動いているのが見えます・・・・近づいては来るのですが、こちらから行こうすると、また少し離れます・・・バァバァだよ、会いに来たよ。バァバァだよ、会いに来たよ。姿を見せてちょうだい・・・バァバァだよ、会いに来たよ。姿を見せてちょうだい・・・大好きなハグをしようよ・・・」と何回か声を掛けられますが、すぐ前には来ません。私も「◯◯ちゃん、おばあちゃんが来てるよ、姿を見せてあげて・・」と声掛けしても、黄色い光のボールのままで、姿を見せませんでした。姿の見せ方が、わからなかったのかもしれません。
おばあさまは姿は見せてくれなかったけれど、あれは間違いなく◯◯でした。孫の星に行けて良かった。そして何か元気そうでした。と語られました。

人間の意識には壮大な宇宙とつながっている原意識なるものがあります。それを活用すればあなたの意識も宇宙へ飛ばすことが出来ます。

★★AEさんの場合/亡くなった方の守護神様がやって来ました。

先日の東京体験会で今まで経験したことがないようなことが起きました。

まずはその一つをご紹介しましょう。2週間ほど前に亡くなった母に会いたいと、A子さんが来所され、早速コンタクトを開始したのですが、現れませんでした。

しかし12分ほどして、A子様は「何か白髪で神々しい男の人が、私の前に来ています。とてもお優しい顔で、笑顔でうなづいてくれてます」「誰か知っている方ですか?」「いいえ、知らないお方です」「じゃ、あなたは誰ですかと、聞いてみてください」「はい・・・母の守護霊、だそうです」「守護霊様ですか」「はい、多分、私にはわかりませんが・・・」「じゃーお母様がどこにいるか、聞いてください、、、」「指で上を指しています。天国に行っているみたいですね」「じゃーお母さんに会いたいから呼んでくださいと聞いてみて・・」「今は会えない、成仏させるために生前のオリをとっている、途中で止まっている」とのこと。たぶん、オリとは汚れのことではないかと考えます。

私の考えですが天国に行くにあたって、何かわだかまりのようなものを抱えたままだったのかも・・・・・全てを置き去ってこそ天国行きが可能なのですね

「いつ頃会えますかと聞いてみてください」と問うと「いつかは言えないが近いうちに会える」と答えてくれたそうです。

そしてスーッと消えてしまいました。

今まで数多くの体験会を行なって来ましたが、本人ではなくその方の守護霊様が現れたのは初めてでした。

★★AGさんの場合/最後のチャンスのつもりで来ました。

全国の霊能者を訪ね歩いて・・・

交通事故で亡くされたと言うAGさんご夫妻が東京会場に来所されました。
わざわざ北海道から・・「数年前札幌で体験会がありましたね。ちょうど法要と重なり行けませんでした」とご主人。
会いたい人はご長男で交通事故だったそうです。「実は、恐山のイタコさんや有名無名の霊能者、沖縄にまで行きましたが、納得できるものはありませんでした。そこで最後のつもりで来ました」亡くなった人に会いたいというホームページを見て来たとのこと。
コンタクトを開始してから5分後、ご主人が「大きな木の後ろにいるのはわかるのですが、姿を見せてくれません」と話し始めました。「呼びかけてください」「あっ出てきましたね。なにか恥ずかしいというか、はにかんでいるというか・・」「そばに行きましょうか」「はい・・、いや、全然距離が縮まりません。行ってもその分逃げているような」「呼びかけてください」「〇〇、会いにきたよ、来ておくれ、逃げないで、こっちにおいで、頼むから来て来れ」と繰り返し繰り返し約10分近く呼びかけましたが、結局だめでした。

「息子さんの様子はいかがでしたか」「なにか・・会うのがイヤという感じではなく、いたずらを見つけられた感じのような、顔で元気そうです。もともとシャイでしたから・・・・でも姿を見れて良かったです。20m位離れていたけれど、はっきり見えましたね。できればホームページで書かれていたようなハグをしたかったのですが・・」
奥様が「元気で良かった。家では本当に普通の子でした。育てやすい子でした・・・」

色々と息子さんのことを話されて、最後に「宇川先生は話しやすくて、おだやかで、雰囲気もあって、お会いできただけでも良かったです」とこちらが恐縮してしまいました。「また来ます。せめてハグしたいですね」と・・。

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